1945年5月31日、バート・ヴェーリスホーフェン生まれ。1967年に劇団「アクツィオーン・テアーター」に参加。同劇団解散後の1968年、仲間たちとともに劇団「アンチテアター」を設立。劇団メンバーとの挑発的かつ実験的な長編映画制作を始める。1978年に発表した『マリア・ブラウンの結婚』により、ニュー・ジャーマン・シネマを代表する監督として世界的に認知される。『リリー・マルレーン』(1980/81)『ケレル』(1982)では国際的スターを起用した大作映画を撮り上げる。ドイツ映画の未来を託される希有な存在となった矢先の1982年6月10日、37歳で急死。彼の映画は、女性の抑圧、同性愛、ユダヤ人差別、テロリズムなどスキャンダラスなテーマが多く、常に激しい議論を巻き起こした。遺された42本の監督作品は、今日にも多くの問題を提起し続けている。
愛は死より冷酷 Liebe ist kälter als der Tod 1969
出稼ぎ野郎 Katzelmacher 1969
悪の神々 Götter der Pest 1969
何故R氏は発作的に人を殺したか? Warum läuft Herr R. Amok? 1969
リオ・ダス・モルテス Rio das Mortes 1970
ホワイティ Whity 1970
アメリカの兵隊 Der amerikanische Soldat 1970
聖なるパン助に注意 Warnung vor einer heiligen Nutte 1970-1971
四季を売る男(季節を売る男) Händler der vier Jahreszeiten 1971
ペトラ・フォン・カントの苦い涙 Die Bitteren Tränen der Petra von Kant 1972
ブレーメンの自由 Bremer Freiheit 1972
あやつり糸の世界 Welt am Draht 1973
マルタ Martha 1973-1974
不安と魂 Angst essen Seele auf 1973-1974
エフィー・ブリースト Fontane Effi Briest 1974
自由の代償 Faustrecht der Freiheit 1974-1975
キュスタース小母さんの昇天 Mutter Küsters' Fahrt zum Himmel 1975
不安が不安 Angst vor der Angst 1975
少しの愛だけでも Ich will doch nur, daß ihr mich liebt 1975-1976
悪魔のやから Satansbraten 1975-1976
シナのルーレット Chinesisches Roulette 1976
13回の新月のある年に In einem Jahr mit 13 Monden 1978
哀れなボルヴィーザー Bolwieser 1976-1977
秋のドイツ Deutschland im Herbst 1978
デスペア Despair-Eine Reise ins Licht 1978
マリア・ブラウンの結婚 Die Ehe der Maria Braun 1978
第三世代 Die dritte Generation 1979
ベルリン・アレクサンダー広場 Berlin Alexanderplatz 1979
リリー・マルレーン Lili Marleen 1980-1981
シアター・イン・トランス Theater in Trance 1981
ローラ Lola 1981
ヴェロニカ・フォスのあこがれ Die Sehnsucht der Veronika Voss 1982