1888年ドイツのビーレフェルトに生まれる。本名はフリードリヒ・ヴィルヘルム・プルンペ。大学では文献学、芸術史、文学を学び演劇に傾倒。大演出家マックス・ラインハルトの指導を受けたこともある。第一次大戦で捕虜となり、その頃からシナリオを書き始める。1919年に『青い少年』で監督デビュー。『フォーゲルエート城』(1921)を3週間で撮影したことで演出力が評価され、その後は吸血鬼映画の古典『ノスフェラトゥ』や才人カール・マイヤー脚本による『最後の人』などでドイツ古典映画を代表する監督となった。やがてハリウッドの目にとまり、1926年にフォックス社と契約を結ぶ。1927年に発表された渡米第一作『サンライズ』は映画史上の傑作である。しかし、自由のないハリウッドと決別。ドキュメンタリー映画作家ロバート・フラハティと共にタヒチで『タブウ』(1931)を監督するが、初公開直前に自動車事故で世を去った。
フォーゲルエート城 Schloß Vogeloed 1921
吸血鬼ノスフェラトゥ Nosferatu 1921
ファントム Phantom 1922
大公の財政 Die Finanzen des Großherzogs 1924
最後の人 Der Letzte Mann 1924
タルチュフ Tartüff 1924
ファウスト Faust 1926
サンライズ Sunrise 1927
タブウ Tabu 1931