その存在抜きには世界映画史が存在しない映画があるとすれば、エイゼンシュテインの「戦艦ポチョムキン」だろう。この作品でソ連を代表する監督となった「リガ(現ラトビア首都)から来た男の子」は、しかし激動するソ連史のなかで、必ずしも幸福な映画作家ではなかった。ユダヤ人の父とロシア人の母の間に生まれ、両親の離婚で父に引き取られたエイゼンシュテインは、ペテルブルグで父の仕事である土木建築を学ぶさなかロシア革命に遭遇し、赤軍に身を投じた。反革命勢力との国内戦が終わるとモスクワで日本語を少しかじり、その頃最盛期を迎えたアヴァンギャルド演劇の世界に入る。そこで遊園地のアトラクションのように観客を惹きつけることを重視する「アトラクションのモンタージュ」を唱え、その後一生を通じて、「モンタージュ」をキーワードに多様な学問分野の成果を取り込みつつ独自の芸術論を展開し、のちの記号論の先駆者として評価されることになる。演劇の可能性に限界を感じて映画を撮り始めると、次々に重要な作品を生み出した。しかし、1920年代末からスターリン体制が確立するなか、当局との摩擦が増大。自由な創作活動に支障をきたすようになった。3部作となるはずだった「イワン雷帝」の制作途上、心臓麻痺により50歳の若さで死去。残された映画作品とその理論は、今もなお観る者の心をとらえ、多くの芸術家に多大なインスピレーションを与え続けている。
ストライキ Стачка 1924
戦艦ポチョムキン броненосец<Потёмкин> 1925
十月 Октябрь 1928
全線(古きものと新しきもの) Старое и новое 1929
センチメンタル・ロマンス Сентиментальный романс 1930
メキシコ万歳 Да здравствует Мексика! 1932/1979
メキシコの嵐 Thunder Over Mexico 1933
ベージン草原 Бежин луг 1937/1967
アレクサンドル・ネフスキー Александр Невский 1938
イワン雷帝 Иван Грозныи 1944(第1部)/1946(第2部)