再考―スイス映画の作家たち
ダニエル・シュミット、アラン・タネール、フレディ・ムーラー
Séance spéciale:
REDÉCOUVRIR LES CINÉASTES SUISSES AVEC UN AUTRE REGARD
Daniel Schmid、Alain Tanner、Fredi M. Murer
à la mémoire de Jean-François Guerry
2021年6月25日(金)-7月3日(土)(日曜・月曜休映 7日間)
会場:アテネ・フランセ文化センター
1960年代末から70年代にかけて、複数の言語圏もつスイスに一群の映画作家が登場する。「ヌーヴォー・シネマ・スイス」とも言われ世界的に注目を集めたニューウェーヴの担い手たち。それぞれに異質の創作活動を展開した三人の映画作家をとりあげます。
6月26日(土)トーク登壇者変更について
予定しておりました青山真治監督がご体調を崩されたので、篠崎誠監督にご登壇をお願いすることとなりました。ご登壇者は下記の通りとなります。
篠崎誠(映画監督)
土田環(映画研究者/山形国際ドキュメンタリー映画祭プログラムコーディネーター)
特別ゲスト
レナート・ベルタ(撮影監督/オンライン出演)
なお、本トークは、同日16:50開映の『ラ・パロマ』のアフタートークとなりますのでトークからのご入場はできません。
ご了承のほど、どうぞよろしくお願い申し上げます。
アテネ・フランセ文化センター
まん延防止等重点措置に伴う販売座席数変更のお知らせ
新型コロナウイルス感染拡大によるまん延防止等重点措置が7月11日まで適用されることとなりましたので、これに伴い本特集の販売席数を79席に減席いたします。
当日の残席状況はお電話でお問い合わせいただくか、アテネ・フランセ文化センターのツイッターとフェイスブックで随時お知らせいたしますのでご確認ください。
ご理解のほど、どうぞよろしくお願い申し上げます。
アテネ・フランセ文化センター
■上映スケジュール
※チケットは1回目上映開始の20分前から、当日上映分を販売します。
6月25日(金)
15:10 | 『今宵限りは…』(78分) |
16:50 | 『ラ・パロマ』(110分) |
19:00 | 『今宵限りは…』(78分) |
6月26日(土)
13:00 | 『ラ・パロマ』(110分) |
15:10 | 『今宵限りは…』(78分) |
16:50 | 『ラ・パロマ』(110分) |
19:00 |
トーク: 篠崎誠(映画監督)、土田環(映画研究者/山形国際ドキュメンタリー映画祭プログラムコーディネーター) 特別ゲスト(オンライン): レナート・ベルタ(撮影監督) |
6月29日(火)
14:40 | 『ジョナスは2000年に25歳になる』(110分) |
16:50 | 『光年のかなた』(107分) |
19:00 | 『ジョナスは2000年に25歳になる』(110分) |
6月30日(水)
14:40 | 『光年のかなた』(107分) |
16:50 | 『ジョナスは2000年に25歳になる』(110分) |
19:00 | 『光年のかなた』(107分) |
7月1日(木)
15:20 | 『パッサーゲン』(50分) |
16:30 | 『最後通告』(124分) |
19:00 | 『パッサーゲン』(50分) |
7月2日(金)
15:20 | 『最後通告』(124分) |
17:50 | 『パッサーゲン』(50分) |
19:00 | 『最後通告』(124分) |
7月3日(土)
特別企画(7月3日のみ3本立てのため入替なし)
13:40 | 『ニッポン国古屋敷村』(210分) |
17:30 | 『我ら山人たち』『流木-死、エロス、幻と沈黙』(計129分) |
■監督紹介
ダニエル・シュミット
Daniel Schmid
1941年、スイスのグリゾン(グラウビュンデン)州フリムス=ヴァルトハウス生まれ。生家は城館を活用したホテル。十代半ばから映画、オペラ、音楽、演劇に熱中する。62年、西ベルリンのベルリン自由大学に入学し、歴史、文学、ジャーナリズムを専攻する。その後、ドイツ映画・テレビアカデミー(DFFB)で学び、この頃、後にニュー・ジャーマン・シネマの旗手となるライナー・ヴェルナー・ファスビンダーと出会う。71年、ファスビンダーとその妻イングリット・カーフェンと共に製作会社タンゴ・フィルム設立。72年、長編劇映画第一作『今宵かぎりは…』がヴィスコンティに激賞され、ヴェネツィア映画祭で新人監督賞を受賞、国際的に注目される。『ラ・パロマ』、『ヘカテ』(1982)、『人生の幻影』(1983)、『デジャ・ヴュ』(1987)など、日本では多くの作品が劇場公開されており、『書かれた顔』(1995)はスイスと日本の合作として製作された。2006年8月死去。次回作の準備中であった。
©︎Bastien Genoux
アラン・タネール
Alain Tanner
1929年、ジュネーヴに生まれる。父は画家、母は女優という家庭環境のなかで育ち、映画監督になることを志す。ジュネーヴ大学で経済学を専攻する傍ら、クロード・ゴレッタらとシネクラブを設立。卒業後に海運会社でわずかの間働いた後、ロンドンへ渡り、英国映画協会(BFI)に職を得る。ゴレッタと短編映画を共作したのちスイスへ戻り、1960年代にテレビ放映向けの主にドキュメンタリー作品を多く制作する。1968年には、ゴレッタ、ミシェル・ステーらと製作集団「グループ5)」を設立。1969年、長編第一作『どうなってもシャルル』によりロカルノ映画祭金豹賞を受賞。続く1971年の『サラマンドル』の商業的な成功は、「ヌーヴォー・シネマ・スイス」の存在を世界に知らしめ、シュミット、ゴレッタら、スイス映画の国際化に先鞭をつけた。デビューは遅かったものの、タネールは、ゴダール、トリュフォーらヌーヴェル・ヴァーグの映画作家と同世代に属し、60年代後半の現体制に対する異議申し立てに共鳴しつつ、都市生活の空虚や不確かさが作品に描かれる。
©︎Christoph Ruckstuhl
フレディ・M・ムーラー
Fredi M. Murer
1940年、スイスの山岳地帯ニトヴァルデン準州ベッケンリートに六人兄弟の末っ子として生まれる。ウーリ州アルトドルフで少年時代を過ごし、1959年にチューリッヒの美術工芸学校に入学、製図のちに写真を学ぶ。1960年代から70年代にかけて、前衛的な実験映画や芸術家についてのドキュメンタリー映画を数多く発表する。1979年、初の長編劇映画『灰色の領域』を制作。1985年には『山の焚火』によって、ロカルノ国際映画祭金豹賞およびエキュメニカル賞を受賞するなど高い評価を受ける。1990年、『我ら山人たち』『山の焚火』と併せて「山の三部作」を構成するドキュメンタリー作品『緑の山』を発表。1998年、『最後通告』でひさしぶりに劇映画に取り組む。2006年の『僕のピアノコンチェルト』では、実在の天才少年ピアニストを主役に起用し、アカデミー賞外国語映画部門にノミネート、世界各地の映画祭に招待された。2014年、母の自伝に基づく劇映画『Love and Chance』を発表し、映画制作からの引退を表明。