1921年7月29日、パリに生まれたとされる。大学を終えたあと、作家として小説、エッセイを執筆する一方、ジャーナリスト、写真家、旅行家としても活動。52年、当時、短篇映画作家として注目を浴びていたアラン・レネと知り合い「彫像もまた死す」の台詞を書き、共同監督もつとめた。その後、世界各地に飛び、ドキュメンタリーを制作。62年の長編「美しき五月」は、アルジェリア戦争終結後のパリのあらゆる階層の市民にインタビューした作品で、軽量カメラによる長回しと同時録音という手法とともに新鮮な映像感覚が高い評価を受け、マルケルは<シネマ・ヴェリテ>派の代表監督と目されるようになった。同年の「ラ・ジュテ」は、全編スチール構成のSFで、彼の名を最も有名にした作品となった。67年“南ヴェトナム民族解放戦線への連帯”を表明し、ゴダール、アラン・レネなどに呼びかけ、オムニバス映画「ベトナムから遠く離れて」を制作。さらに68年5月の革命の熱気の中で学生、労働者との結びつきを深め、グループ<スロン>を結成。ここでメドヴェトキンの「幸福」を上映したことが、後のメドヴェトキンの再評価への流れを生み出していった。日本に取材した82年の「サン・ソレイユ」など映像による文化論的作品を発表した後、近年は、現実社会へと深く踏み込んだ作品を制作する一方、マルチメディアとしての映像にも興味を示し、内省的な映像を探求している。
サン・ソレイユ Sans Soleil 1982
アレクサンドルの墓 Le Tombeau d'Alexandre le dernier bolchevik 1993