
ビールの原料となる二条大麦。播種から収穫までその品種改良の試行錯誤を追い、遺伝の仕組みも映像で解説する科学映画。毎日産業映画コンクール大賞を受賞し、松川曰く「僕の職人としての最初の映画歴を飾ってくれた」。

猿の群れにショートケーキを与えてみたり、各国の料理を覗いてみたり。黒柳徹子と山本直純の軽快な語りと音楽が誘う、味覚をめぐる文明論。後半は一転、醤油工場での製造過程を紹介し、日本に止まらぬ製品の普及もアピール。
ベラスケス作「宮廷の侍女たち」をピカソが自由に解釈して描いた連作。その「宮廷」の扉の向こうに広がる「ピカソの空間」へと迫る試み。映像は絵画作品のディテールだけで構成。ナレーションはピカソの言葉にもとづく。

国宝「鳥獣戯画」の細部接写映像がリズムよくつながれ、間宮芳生の楽曲が多声を響かせる。仲間たちとの自主作品にして、べルガモ映画祭大賞を獲得。本作をきっかけに松川は絵コンテの切り貼りによる編集方法を活用していく。

桃山時代の志野焼を復活させた人間国宝・荒川豊蔵を描く。手の技を凝視するキャメラ。美濃国の「一人の爺さま」をめぐる寓話風の語り。映像と声の双方で記録性と虚構性が折り重なる。冒頭と結尾に蕪村「竹林茅屋図」を配す。

原爆投下ひと月後に撮影されたフィルム、当時の写真やニューズリール、25年後の現在の光景などを松川曰く「コラージュ」した、証拠資料による映像証言。広島市民と地元報道機関の積極的な協力・支援のもと製作された。

「世界一の造船所」で働く若者たちの一日の作業風景をスケッチし、詩のような語りとインタビューの声を重ねる。松川と名コンビとなるキャメラマン瀬川順一との初の本格的協働。「若き労働者たちに捧げた」作品と松川はいう。

彫刻家・木内克(きのうちよし)、その創造の現場に接近する。手早く粘土を捏ねて裸婦像を作り上げるスピード感に倣って、撮影素材22分をほぼそのまま完成作へと編集。松川初のノー・ナレーション。楠田浩之『木内克とその作品』の姉妹作。

火・水・土・人の四部構成で見せる、この国の風土と社会、産業と暮らし。日本紹介番組の企画公募で選出され、撮影は1年に及んだが、結果的にキー局では放映されず。「美しい日本」像を相対化し、近代化の裏面も描く。

人間国宝6人の手仕事を見つめる。正藍染・千葉あやの、雁皮紙・安部栄四郎、型絵染・芹沢銈介、友禅・森口華弘、備前焼・藤原啓、日本刀・宮入行平。それぞれの手業が画面の上で連鎖してゆくノー・ナレーション作品。

戦時中に落雷で焼失した法輪寺三重塔を、飛鳥時代の工法で復元・再建する。棟梁は法隆寺の宮大工・西岡常一。プロジェクトに尽力した作家・幸田文の姿も。2年ほど撮影が進んでいた段階で松川と瀬川が引き継ぎ完成させた。

安全な食を求めた都市生活者たちが自ら茨城に農場を建て、自給生活を送りつつ収穫物は郊外へ配送もする。その「たまごの会」の活動を5年にわたって記録。食と農と現代文明を問う。制作中の仮題は『ユートピア闘争宣言』。

古くから交通の要所として栄えた近江長浜の春ごとの祭は、山車に設えた舞台を使った子ども歌舞伎で有名。男児らの「義経千本桜 吉野山道行」稽古風景から当日喝采を浴びる姿までを追う。児童が主役の民俗芸能とその伝承。

戦後の前衛いけばな界の一翼を担った小原流三世家元・小原豊雲(おはらほううん)。植物を素材とした造形作品として幻想的な花の世界を作り出す豊雲の制作現場を接写し、ヒエロニムス・ボスの絵画を引き寄せながら、その綺想へと迫る。

ユートピアを建築の形で現わそうとしたガウティの生涯を、その背景たる激動の時代とカタロニアの風土とあわせて描き出す。ランボーの詩のリフレインなど松川のアイディアを生かしつつ、最終的な編集は阿武野が担った。

村民らが演じる大鹿歌舞伎でも知られる山あいの村。過疎化が進行する傍らで、織物作りや田植えに励むチェコ人にイギリス人、都会を逃れてきたシンガーソングライターといった面々が住み着いている。大鹿村は松川の父の故郷。

江戸時代の古民家を横浜市の隣区から長屋門公園へ復元移築する事業を記録。伝統的家屋の建築方法、素材、道具、職人の技を見つめる。ラストに種名が列挙される「蝶」は松川が偏愛した対象。瀬川順一と組んだ最後の作品。

東南アジアから伝播した稲作は発酵文化もまた日本へともたらし、西アジアの遊牧民族は乳の発酵を発明し、ヨーロッパでは地方ごとのカビが特色あるチーズを生んだ。発酵という調理法と食文化をめぐる世界紀行。

カミとヒトの交流の祭たる神楽。出雲地方の4つの神社での神楽奉納を活写する。同じ「スサノオのヤマタノオロチ退治」でも郷土色の違いがあざやかで、舞台に上がる幼児やら神楽に目もくれず酒を酌み交わす見物客やらも。

民本主義を唱え、大正デモクラシーの立役者となった政治学者・吉野作造。論説・講演で民衆本位の政治を説いては女性の政治意識も促し、大学を辞すと明治期研究に没頭する。そして吉野が生きた時代はテロルの季節でもあった。

2004年に世界遺産に登録された熊野古道を県の依頼で撮影。46億年前の地球誕生から語り起こされる森と人類の関係。豊かな生態系をかかえた熊野の森は、人々が極楽浄土を願う霊場としてあり続ける。松川八洲雄の遺作。
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