渋谷哲也(ドイツ映画研究者)
今、ご紹介いただきましたように、私はもともとドイツ文学研究出身で、今はドイツ映画を専門に研究しています。ということで、今日は、ドイツ語もしくはドイツ文化を中心にしてストローブ=ユイレの映画を解読、解体してみようと思っています。
本題に入る前に個人的な話をさせていただくと、はじめてストローブ=ユイレの作品を観たのは、今から20年以上前のことです。1985年か86年頃に『アメリカ』が突然日本で上映されました。当時、私は大学の学部生でしたけど、カフカを映画化したということで観に行ったんですね。ストローブ=ユイレという名前はまったく知らずに。それで、行ってみたらですね、普通の映画と全然違うと。何だこれはと。一緒に行ったドイツ文学科の先輩の一人にカフカ研究の人もいたんですが、皆で首をひねって帰った次第です。ただ、全然理解できなかったのにインパクトは強烈だったわけです。でも、そのインパクトって、いったい何なんだろう。それを説明する言葉がない。ドイツ文学研究をやっている人間も歯が立たない。当時、映画を作っている知人や、映画ファンの人たちと話をすることもあったのですが、あれをどう言葉にしたら良いのだろうか、あれはいったい何なのかと謎をお互いに交換しあうばかりでしたね。
その後、ドイツに留学したんですが、ドイツでストローブ=ユイレの映画を観たのが個人的な体験として結構強烈で決定的でした。どういうことかと言うと、映画は映像がメインだと普通言いますけれども、実際は映像と音ですよね。音のなかでもとりわけ言葉。単なる音、音楽だけではなくして、言葉、テクストが本来は重要であるはずです。台詞を情報として聞く、字幕を情報として読むだけならテクストを意識することは少ないと思いますし、特に外国語映画の場合は、その外国語に堪能でないとテクストというものにあまり意識が向かない。映画を作ったり、語ったりする方も言葉をあまり重視して語りません。映画というのはまずは映像であると。普通、そういう感じで観たり、考えたりするわけですけれども。だから、ドイツ語を母語としないストローブ=ユイレがドイツ語を使った文学、テクストをもとに映画を作るインパクト、その言葉づかいから生じる違和感というのは、ドイツでドイツ語母語話者の観客と一緒に観ないと確認できなかったというところはありました。
最初の『マホルカ=ムフ』『妥協せざる人々』は、ハインリヒ・ベルという同時代の作家の、戦後ドイツ社会に対する一種のコメントのような小説の映画化ですね。また、『アンナ・マグダレーナ・バッハの日記』で描かれるバッハは、ドイツが生んだ世界的な音楽の芸術家です。ストローブ=ユイレの作品は、そういう形でドイツの国民文化と関わっているわけですね。映画そのもののインパクトはドイツから離れて日本の東京で観ても分かりますが、ドイツ語の映画もしくはドイツ文化の枠のなかの映画としての彼らの作品の過激さは、ドイツでどう受け取られているかとかドイツの批評を知らないと、なかなか分かりづらいものがあります。例えば、『アンナ・マグダレーナ・バッハの日記』だと、ただ演奏をしている場面が延々と続くので、映画のつくりとしてのラディカルさは誰が観ても分かるわけですけれども、ここで問題にしたいのは映画の筋の方です。この特集上映の前回の講演で、井土紀州さんがストローブ=ユイレはプロットではなくテクストにこだわる人たちだと仰っていました。まさしくそうで、彼らの映画というのは、ドラマを盛り上げようとか物語の展開で興味を惹き付けようとか、そういう要素は希薄ですね。ところが、ストーリーはまったく関係ない実験的な映画なのかというとそうではなく、ストローブ=ユイレの映画にはどの作品にもストーリーがちゃんとあります。だから、形式とかコンセプトばかりに目を向けると、肝心の内容のラディカルさを見過ごしてしまうのではないか。形式と内容という分け方には色々と問題がありますが、とりあえずその二分法でいくと、形式と内容の両方を同じ作品の両面ということで見た方が良いんじゃないかと思うわけです。
『アンナ・マグダレーナ・バッハの日記』ですと、バッハや彼の二番目の奥さんであるアンナ・マグダレーナとか子どもたちとか貴族や聖職者が出てくるわけですけれども、映画のほとんどは演奏シーンであって、その合間にいかにも素人風な演技による寸劇のようなものが挟まっている。そういうラディカルな構成ですが、それでもドラマはあるわけです。そのドラマは、アンナ・マグダレーナ・バッハ、バッハの奥さんによって語られている。この点は重要ですね。年代記作家という第三者が語るわけではない。しかも語り手は男性ではありません。バッハの身近にいる奥さんが語る。しかも、後添えなので、自分の子どもではない義理の子どもがいたりするわけです。家族として身近なところから、でもどこか他者としてドラマが語られている。奥さんの視点ですから、家族関係のことばかりピックアップされるわけですね。夫がどういう仕事をしてどれだけ収入を得たかとか、もっと条件が良い別の職場に移ったとか、職場でどんないざこざがあったかとか、そういう職業人としてのバッハの日常の姿が語られる。そして、家族の在り方、特に子どもたちがどうなったとか、どこかで放蕩息子が大変なことをしでかしたとか、いわゆるファミリーメロドラマ的なことばかりが取り上げられます。『アンナ・マグダレーナ・バッハの日記』は非常にラディカルな映画だと言われながら、ストーリーだけ取り出すとメロドラマなわけです。このギャップは何なのでしょうか。
1960年代後半から70年代というのは、芸術の昔からの価値観が転換しつつありましたが、その反面、古い価値が若者たちの反抗によって壊されるままで良いのかという反動も非常に強かった時代です。特に伝統的な芸術においては反動というか制度化の力が凄く強いわけですが、当然、バッハを世俗から外れた芸術家ではなく普通の人間と見なすという視点は、クラシック音楽を信奉する人々にとっては許し難いものでしょう。ドイツで公開したときは客席から野次がとんだそうですね。バッハは単なる操り人形ではない。そういう描き方をするとは何事かと。これはジャン=マリー・ストローブがあるインタビューで語っていたことです。ストローブはそれに対して、いや、バッハだってやっぱり操り人形なのだ、と言うわけです。芸術家というのは社会から孤立して芸術活動をやっているのではなく、バッハもまた社会に取り込まれているということをはっきり描くわけですね。
ただ、だからと言って、バッハの音楽を単なる流行の作曲家のそれ、機を見るに敏な普通の職業作曲家のそれとして扱っているかというと、そうではないですね。バッハを偉人化しないだけで、音楽そのものはきちんと見せて聴かせます。それに完全に徹したつくりになっています。ある種の英雄化、神聖化に逆らいつつ、それでも音楽そのもので神聖さを伝えるという二律背反したことをやっているなという感じですね。1960年代、70年代というのは挑発的な映画が多くて、ドイツ映画にも変てこな作品がたくさんありましたけど、ストローブ=ユイレの映画は挑発しつつも正攻法を守るという、単なるこけおどしではない作家性がこの『アンナ・マグダレーナ・バッハの日記』からもうかがえると思います。
こんな感じで、ストローブ=ユイレの映画は良いんだ、こんなに凄いんだとばかり言ってしまうのですが、ストローブ自身は、自分たちの映画は群衆を一つにするものではない、バラバラにするためのものだとよく言っています。それはどういうことなのかと言うと、いわゆるハリウッド的なと言っておきますが、娯楽産業のなかの商業映画のように、客席に座って映画がはじまったら皆一体になって同じところで笑って泣いてハラハラして最後に満足して映画館から出て行く、そういう映画の在り方、もしくはそういう群衆の操作に反抗してストローブはそう言っているわけですね。自分たちの映画は人々を分けるものであると。ストローブ=ユイレの映画がこんなに良いんだ、凄いんだとばかり言っていると、どうしてもそれが中心化の力を作ってしまうことになりますので、そのストローブの言葉を改めて思い出しておきたいと思っています。
さて、こうやって講演として喋っている内容は後に残らないものだという思いがありまして(これは皮肉ですね、筆者注記)、ちょっとした思いつきを不用意に喋ってしまったりするんですけれども、例えば『アンナ・マグダレーナ・バッハの日記』でも、個人的に何なんだろうとクエスチョンマークが付くことも色々とあります。この作品は、音楽の演奏をきちんと記録した映画であると言われていますね。実際、演奏シーンは同時録音で演奏家が本当に楽器を弾いているところを撮った映画なわけです。ただ、前から変だなとは思っていたのですが、先日改めて観て唖然としたことがありました。つまり、楽曲の聴かせ方です。普通、演奏がはじまる前には、これからはじまるぞと演奏する方も聴く方も身構えますよね。そして、演奏が終わった後、最後の和音がジャンと鳴った後、普通は残響が鳴り終わるまで音楽は続いていると考えますね。特にクラシック音楽の場合はそうだと思います。けれども、この『アンナ・マグダレーナ・バッハの日記』の編集はもの凄く異例ですね。曲が途中からはじまることもありますが、最初からはじまる場合でも、カットが替わった瞬間に演奏が唐突にはじまる繋ぎ方が非常に多いです。また、冒頭のブランデンブルク協奏曲5番だと、最後の和音がバアンとまだ鳴っている最中にナレーションが飛び込んでくる。要するに、一つの曲を最初から最後まで味わって聴かせる間合いが無いんですよね。一曲の演奏が終わる直前にもう次の曲もしくは次のエピソードに飛び込んでしまう。ある意味で緊張の糸が延々と張っているような繋ぎ方をしているわけです。はっきり言って、一曲一曲をきちんと聴いて楽しみたい音楽ファンからすると、あり得ない繋ぎ方ではないかと思います。音楽を本当に大事にした映画なのだろうかと、ちょっと疑問を感じずにいられなくなります。これはいったい何なのか。もちろん単なる演奏の記録ではありません。明らかにこの『アンナ・マグダレーナ・バッハの日記』は、ストローブ=ユイレという作り手が、自分たちの発想、構築、方向性によって作り出した作品なわけです。それは映画としてもどこか変である。音楽として聴いても違和感がある。偉人伝としても異例です。変なひっかかりが必ず入っているわけですね。誰もが納得するようなつくりにはなっていない。そのことは、先ほどのストローブの「分ける」という言葉と結びつけて考えざるをえません。一人の観客においてさえ、相反する反応を引き起こすものだと言えます。
実際にドイツに行って実感したこととして、ストローブ=ユイレの映画を制作する状況についても言っておきたいと思います。例えば、『アンナ・マグダレーナ・バッハの日記』が作られた1960年代は冷戦状態の只中にあって、ドイツは東ドイツと西ドイツに分けられていました。二つのドイツが一つになることはおそらく無いだろうと皆考えていた時代です。その時代にストローブ=ユイレはバッハを映画化します。ストローブ=ユイレはオリジナルの場所で撮ろうとする。その点は記録であることに非常にこだわるわけですね。バッハが活躍したケーテンとかライプツィヒとかはほとんどが東ドイツの街です。彼らは実際にそこまで出かけて行って撮影してしまう。ライプツィヒの聖トーマス教会で演奏している場面があるということは、彼らは国境を越えて東に入って映画を撮ったということです。この映像を実現するために何が起こったかを考えると気が遠くなりそうです。作品を作るための意志が、政治的な分断とか現実の障害をどれだけ乗り越えなくてはいけなかったかのかと。撮りたいイメージのために奮闘することは、芸術的な営為であるだけでなく現実的な葛藤を引き起こします。しかも、その葛藤は映像に直接的に反映されていないものです。この『アンナ・マグダレーナ・バッハの日記』は、彼らが作品を作るにあたっての手綱のとり方がよく表れている例だと思います。
さて、そろそろ作品の内容や制作の背景だけでなく、ストローブ=ユイレの映画が言葉、テクストのレヴェルで何をやっているのかをちょっと考えてみたいと思います。『エンペドクレスの死』とか『アンティゴネー』とか『オトン』とか色々と戯曲の映画化がありますが、それらをご覧になった方は、舞台の上演をそのまま撮っているのとどこが違うのかと思われたかもしれません。もちろん映像として面白いショットとか、力強いショットはたくさんあります。けれども、テクストについては、原作の戯曲をそのまま使っただけだと、とそういう風に言うこともできるわけです。ただ、韻文というのがありますね。一行ずつ強弱、強弱と韻律が決まっています。『エンペドクレスの死』や『アンティゴネー』のテクストはそういう韻文です。そこでは行替えと文の句読点がまったく合わないことも起こります。一文が二行、三行に跨がったり、行の途中に句点があってそのまま次の文に続いたりするわけです。ストローブ=ユイレの映画の台詞は、ご想像の通り、韻を踏んだところで抑揚を付け、なおかつ行替わりで間を置きます。『アンティゴネー』をご覧になるとお分かりになると思いますが、アンティゴネー役の女優の人、たぶん素人だと思いますけど、この人は韻を踏んで喋ることを徹底的にやっているわけです。だから、音楽的なんですが、意味の上ではガタガタに寸断された台詞に聞こえます。クレオンという王様も登場するんですが、このクレオン王はプロの舞台俳優が演じています。彼も韻を踏んで喋りますが、演技の訓練、台詞の発声の訓練を積んでいるためか、意味を理解しやすいです。ただ、どちらにしても、意味の固まりではなく、テクストの形式の方を重視して台詞を喋ることが徹底されています。だから、意味を追って台詞を聞いていると、途中ありえないところでポーズが入ったりするわけです。
原作のテクストが韻文で書かれているから、ストローブ=ユイレはそれに則って映画化したことも確かですが、そこには演劇やドイツ文学の伝統も関わっています。『エンペドクレスの死』の著者で、『アンティゴネー』を古代ギリシャ語から翻訳したヘルダーリンという19世紀初頭の作家は、まさしくそのドイツ語訳で、当時の文壇を牛耳っていたゲーテやシラーといった大御所から批判されるわけです。こんな稚拙な表現はドイツ語ではないと。けれども、一世紀経って19世紀末ぐらいにヘルダーリンの再評価がはじまります。ソポクレスのごつごつしたギリシャ語のテクストを逐語訳的にドイツ語に変換して、余計な語句を削ぎ落として、単語と単語が拮抗しあうような訳を作ったとして再評価されるんですね。ドイツ語の慣用的な表現法に反する訳が高く評価されたわけです。「硬い接続」と称されているものですが、ある原石と原石が組合わさると隙間が空くわけで、要するに単語が滑らかに繋がっていないんですね。文がさあっと流れず、一語一語がガタガタと繋がっている。その言葉の繋がり、ぶつかり合いを感じ取りつつ、その訳を読みとっていかなくてはいけない。なおかつそれは韻律に厳密に沿っているわけですね。そういう言葉の使い方をしたことで、一種の言語革命としてヘルダーリンは没後一世紀経ってから高く評価されてきます。ストローブ=ユイレはまさしくそのような伝統の上で映画化しているわけです。だから、ドイツ語のネイティヴの人も『エンペドクレスの死』の台詞はよく意味がとれないと言っていました。もちろん語彙も現在とは全然違うわけですけれども。
『アンティゴネー』の場合はもうワンクッション入ります。ソポクレスの「アンティゴネー」をヘルダーリンが訳し、それをブレヒトが書き直すわけですね。ブレヒト訳をヘルダーリン訳と読み比べてみると、もともとあった単語もかなり残して使っているんですが、ストーリーの設定とか展開はブレヒトが結構変えてしまっています。何よりもブレヒトなりのアクチュアリティを盛り込んでいるわけです。彼が「アンティゴネー」を書いたのは1940年代の半ば、つまり第二次世界大戦で連合軍とナチスが戦っていた真っ最中に作ったわけですね。反ナチ、反ファシズム、抵抗のための演劇行為として「アンティゴネー」を書いたわけです。ここで、もともとのヘルダーリンのテクストを使った『エンペドクレスの死』と『アンティゴネー』の演出の違いに着目すると面白いことが見えてきます。『エンペドクレスの死』の場合は、出来るだけ韻律に沿ってテクストを読ませようとします。ということで、俳優たちの喋り方はだいたいモノトーンなわけです。『アンティゴネー』の場合は、素人のモノトーンの台詞とプロの舞台俳優による表現豊かな台詞が交錯するんですね。同じリズムのなかで。そのことは、ブレヒトが盛り込んだ『アンティゴネー』の反ナチ、反ヒトラーの意図と結びつけて考えることができます。というのは、『アンティゴネー』のクレオン王は、要するにヒトラーのある種のパロディです。直接的にそうだとは書いてありませんけれども、両者共に国を戦争に駆り立てる支配者です。クレオン王をヒトラーだとすると、アンティゴネーはドイツ国内にいながら戦争に加担しない、内的な亡命者だと呼ぶことができるでしょう。国政に賛成しない、ヒトラーの独裁に賛成しない人物。その人物が非国民とされた身内の死に、国境線を越えて弔いの意を表するわけですね。まさしくナチと連合国との間でどういう行動をとるのかという非常に切羽詰まった問題です。現代でも十分通用する問題だと思います。アンティゴネーは自らの固い意志を韻律にのせて示すわけですが、クレオン王は単に言葉だけでなく演技の術によっても自らを表現します。クレオン王の方が身振りも台詞の抑揚もより豊かなわけですね。クレオン王の俳優は演技がうまいわけです。そして、そのうまさはファシズムの指導者ヒトラーの演劇性として解釈しようと思えば解釈できます。それだけが解釈の可能性という訳でもないですけれども。人を惹き付けるカリスマ性、演技力というものに対する考察も、『アンティゴネー』のなかに見ることができるわけです。
以上は韻文の話です。ここからはストローブ=ユイレが散文のテクストをどう扱っているかを『歴史の授業』を中心に考えてみたいと思います。『歴史の授業』や『アメリカ』といった作品の原作は小説です。小説ですから、一段落ごとに文章がずらずらと流れているわけです。ところが、『歴史の授業』でも『アメリカ』でもテクストを自然に流して読んだりはしないんですね。やっぱりストローブ=ユイレは違いますね。ここで、『歴史の授業』の最後の三カットに注目してみようと思います。『歴史の授業』の原作はベルトルト・ブレヒトの未完の小説「ユリウス・カエサル氏の商売」です。ジュリアス・シーザーとして有名な歴史上の大人物を、植民地主義の創始者として、政治と財界の癒着を推進した人物として解釈した小説です。ここで、最後の三カットの一カット目にあたる銀行家スピケルの台詞の最初の部分を読んでみます。「C」はカエサルを指します。ドイツ語の読みは「ツェー」です。
(話者が間を置いたところを二重斜線(//)で示しています。原文にあるコンマとピリオドは括弧内に表示します)
だがCが属州の和平化から得た取り分も//
それに見合う満足のゆくものだった(.)//
歴史家たちは//
彼が何によって儲けたかについて(,)意見が分かれる(.)//
ブランドゥスが言うには(,)//
彼がそもそも金を//
受けた目的は(,)ただヒスパニア人たちの深い感謝の念が証だてるのは//
彼の無私の精神であることを//
その手で確かめたいからだった(.)//
と、こういう感じです。元来の句読点とは無関係に台詞の間が取られていることがお分かりになると思います。つまり、文の途中で間が置かれる。「彼がそもそも金を」で切れるわけです。ここの台詞で何が語られているのかを簡単に説明しますと、ローマ帝国に資源が無くなってきたので、ヒスパニア、今のスペインを植民地にして資源や財産を奪う政策をカエサルが実行したという場面なんですね。これまでのローマの植民地の作り方は、兵隊を送り込んで、大戦闘をやって、地元の人を殺し、土地も荒らす。したがって、そこで得る取り分は微々たるものでした。それで、カエサルは別のやり方で植民地統治をします。すなわち、彼らの自治権を認めます。あなたがた外国人の人権と国民性を認めましょう、そして和平の交渉をしましょう、そして商売でお互い儲けましょう、とそういう約束をとり決めるわけですね。植民地の人々に働かせて、ローマの人々はその上前をはねてどんどん稼ぐことができる。そういう植民地主義です。今では世界中でお馴染みになっているやり方です。そのカエサルの植民地政策について歴史家たちが語ったことというのが、ここの台詞です。カエサルという歴史上の偉人について、汚い賄賂をとってうまく生き延びたという評価と、そうではなく高潔な人物であったという二つの価値観が拮抗しているわけですね。テクストを切って、こういう句読法を考えて、その拮抗の緊迫感を作り出していることが分かります。句読点で間を置くのとは違う読み方にすることでストローブ=ユイレはテクストに介入しているわけです。
ユリウス・カエサルはたったの一年の間にその植民地政策によってもの凄い大金を得ます。属領であるヒスパニア、スペインで働いている人たちからどのように金を集めたのか。そのことについての銀行家スピケルの台詞です。
ある者たちがいうには//
彼は敵から金を取り(,)またある者は(,)同盟者から金を奪ったという(.)//
ある者は(,)租税から生じたといい(,)またある者は(,)銀山の収益からという(.)//
ある者は(,)//
ヒスパニアが支払ったといい(,)またある者は(,)ローマが支払ったという(.)皆の意見が正しい(.)//
幾つかの意見が対比の形ではなく語られています。どちらの意見が正しいかではなく並列して一つの文になっていますね。こういう台詞の切り方は明らかにテクストの解釈から生じたと考えざるをえません。つまり、敵から金を貰うか、味方から金を貰うかは、そもそも対立項ではないという、そういう読みですね。まさしくテクスト・クリティークとしての演出だと思うわけです。
歴史を語る上の問題として、あらゆることから無関係な客観的な立場で書かれた歴史記述というものはないということがあります。一般論として言えば、誰かがある立場から語った歴史記述があるだけです。ここでは銀行家スピケルが語ったカエサル像が語られます。ただ、ここのスピケルの台詞の場合、君も分かっているだろう、とか聞き手に語りかける言葉がブレヒトの小説には書かれていたのですが、ストローブ=ユイレはそういう呼びかけの言葉をすべてカットしています。だから、より客観的と思われる歴史の教科書の記述に近づいた台詞になっています。そして、この長い台詞の最後に、話者であるスピケルの視点がはっきりと表れます。カットが変わる前後の辺りです。では、その最後の部分を読んでみます。
彼が帰ってきたとき(,)//
帰ってきたのは別人だった(.)彼は自分の秘めた力を表していた(.)//
属州に秘められていたものも(,)彼はまた示して見せた//
要するに、カエサルは植民地支配で大成功を収めたわけですね。それで、彼が政治家として商売人として成熟して帰ってきたということだけでなく、属州から非常なる利益も持ち帰ってきたことが説明されています。ここまではある意味で客観的な台詞なわけですが、
そして彼の歴史的な演説(,)//
彼はローマで二番になるよりヒスパニアで一番になりたい(,)//
という言葉は正しかった(.)(台詞が切れるとすぐにカット)
私の彼への信頼が賢明だったことは明らかになった(.)//
と、こう続きます。「という言葉は正しかった」と「私の彼への信頼が賢明だったことは明らかになった」の間でカットが替わります。聞き手の青年の姿のショットから話し手である銀行家スピケルの顔に移ります。このカットの切れ目は小説の段落替わりに対応しているのですが、すぐに「私の彼への」という台詞がはじまりますので、音としては切れ目がない。それまでの客観的な語りから、「私の」というこの銀行家の主観的な語りに即座になだれ込んでしまう。カットが替わることで、段落が替わったというシグナルはあるわけですけれども。それで、
私たちの銀行はもはや小銀行ではなかった(.)(台詞終わりと同時にカット)
という、銀行家のこの長い台詞の最後の言葉となります。つまり、カエサル氏の商売で得したのは私たち財界人であるというわけです。語り手であるスピケルの立場がここではっきりとします。そうしてこのショットは5秒であっという間に終わって、まったく違った場所にモンタージュされます。観た人は覚えていらっしゃると思いますが、この台詞が終わった瞬間にカットが変わり、すぐに激しい音楽がはじまるわけです。バッハの「マタイ受難曲」ですね。イエスが捕らえられるところでコーラスがユダの裏切りをなじる、非難するという歌が突然はじまるわけです。だから、ユリウス・カエサルとは文脈が全然違うんですが。その歌詞は次のようになっています。
燃えたぎる深淵を開け、おお地獄よ
「私たちの銀行はもはや小銀行ではなかった」という銀行家の勝利宣言の後に、突然この怒号のような言葉が流れるわけです。映像はローマの噴水ですね。女の人の顔が噴水になっていて口から水を噴いているという、ギャグとしか思えないような映像です。ここで怒っているのはいったい誰かということはもうお分かりかと思います。そして、次のような歌詞が続きます。
引き裂け、滅ぼせ、呑み込め、粉砕せよ
瞬時に沸き上がる怒りをこめて
いかさまの裏切りを、人殺しの血を
虐げられた民衆の怒りの声が、「マタイ受難曲」の聖書の言葉とバッハの音楽によって代表されるわけですね。そして、民衆の顔、姿はここでは人間ではなくて噴水の顔です。全て代理表象が行われているわけですね。
ここの最後の三カットの繋ぎ、モンタージュが面白いと思います。最初の一分半にも及ぶスピケルの台詞のショットでは、それを仏頂面でじっと聞いている若者の姿が映っています。この青年は、顔の表情からすると、銀行家に反感を持っているのが明らかです。そして、スピケルが自分は銀行家としてうまくやったと言うところで、映像はスピケルのクローズアップに替わります。画面の右側にクローズアップで顔が映って、その顔は左奥を向いているわけですね。その次、今度は噴水のショットに替わります。噴水の顔は左奥に映って、右手前を向いています。要するに、銀行家と噴水の顔が対峙しあう切り返しのショットになっているわけですね。しかも、この噴水の女の顔がズームしてぐわっと大きくなる。ほくそ笑んでいる銀行家に脅しをかけにやって来ているとしか思えないような繋ぎの演出です。そして、この歌詞ですからね。これはもう明らかに抵抗せよと拳を振り上げている映画的な身振りとしか思えないわけです。『歴史の授業』は1970年代初めの作品ですが、体制に抵抗せよというストローブ=ユイレなりのアクチュアリティがこの映画のなかに込められているわけですね。
ただ、そのアクチュアリティだけでもって映画が終わるわけではありません。それは「マタイ受難曲」が終わった後の45秒間に表れていると思います。噴水の女の顔が資本家に対する怒りの表現として象徴的に示された後に、その噴水の映像と現場の音、噴水のジョボジョボという音だけが鳴っている時間が続きます。これが45秒間も続くんですね。ただそれだけしか映っていないとすると、45秒はもの凄く長い時間に感じます。これはいったい何なのでしょうか。映画を観る者への一種の挑発かなと単純に考えればそうなんでしょうけど。ただ、口から水を噴くというこの女の怒りの顔に革命、抵抗の意志が結晶した後、この45秒間で、映像はある場所の記録としてそれまでのパトスを取り去っていくんですよね。この45秒の間に、これはローマの噴水であると改めて冷めて思わざるをえない。冷静になる間としてこういう時間が設定されている。噴水の女の顔は、結局代行された表現にすぎない。そういうことをちゃんと見せてくれる終わり方だなと思います。政治的な言説を映画に導き入れる上で凄く慎重な、誠実な、正直な手法ではないだろうかと思います。
もう時間がきてしまったようです。すみません。ノンストップでだらだらと喋って申し訳ないですが、とりあえずこれで終わらせていただきたいと思います。どうもありがとうございました。