石坂健治(日本映画大学教授/東京国際映画祭アジア部門プログラミングディレクター)
市山尚三(東京フィルメックスプログラムディレクター)
矢田部吉彦(東京国際映画祭プログラミングディレクター)
司会 今日、会場にいらっしゃる皆さんはジェイラン監督の2本の作品『繭』と『五月の雲』をご覧になりますが、現在公開中の『雪の轍(わだち)』を見て、秋にアテネ・フランセで上映される5本の映画をご鑑賞になると、カンヌ映画祭で一貫して評価されてきたこのトルコ人監督の全貌に接することができます。
それでは、トークにご出演の皆様にご登壇いただきましょう。
トルコ映画の世界的な評価とジェイランの登場
矢田部 よろしくお願いします。とても元気なトルコ映画を長くご覧になってきたお二人に、トルコ映画の現在や、ジェイラン監督についてお聞きしてまいりたいと思います。ジェイラン監督を最初に紹介したのは、何を隠そう市山さんだということで、まずはそのあたりについてお話いただけますか。
市山 僕は92年から東京国際映画祭のアジア秀作映画週間という部門の担当になったので、トルコ映画も観ていたんですね。ところがその年はちょうど、イラン映画が国際的に広まった年で。例えばアッバス・キアロスタミの『そして人生はつづく』がカンヌの「ある視点」部門ですごく話題になって、マジッド・マジディの『バダッグ 砂漠の少年』がやはりカンヌの監督週間で上映され、更に同じ年にモフセン・マフマルバフの『ワンス・アポン・ア・タイム、シネマ』があったり、とにかくイラン映画が西洋で広く評価された記念すべき年だったんです。
その一方で、トルコからもたくさんエントリーが来るんです。ものすごい映画大国で、娯楽映画も芸術的な映画も作られている国なんですが、でもイラン映画と比べると、90年代のトルコ映画は「これは!」と言える監督があまりいなくて。応募されてくる若手監督作品も、地域バランスを考えると、どうしてもイランやイスラエルの映画を選んでしまうので、トルコ映画がはずれてしまうということが続いていました。
それで98年のベルリン映画祭で、僕は『カサバー町』を観たわけです。ついに来たか、と思いました。イランの監督たちに匹敵する監督が出てきたな、と。この年は個人的にはジャ・ジャンクー(賈樟柯)の『一瞬の夢』を同じフォーラムで観たので、面白い縁ですよね。去年『雪の轍』がパルムドールを取った時の審査員がジャ・ジャンクーでしたから。これは東京国際映画祭のヤング・シネマ・コンペティションでやるべきだと報告して、結果、シルバー賞を取ったわけです。
他の作家と何が違うのか、っていう具体的なことよりも、とにかく「才能がある」っていうことなんですよね。イラン映画の影響もあると思うんですけど、自然主義的な部分と、かっちりと決まったスタイルが同居している。明らかに違う才能が出てきたなと思いました。トルコの映画は中東の映画なんですけど、それまでは西洋の映画を凝縮した、例えばイタリア映画でやっているようなことをそのままやっているようなものが多かった。それでどうしても新鮮味に欠けてしまうんですけど、『カサバ~』はどうも違う。アジア的なものと言っていいのかわからないけど、そういったものを感じましたね。
矢田部 トルコは地理的な関係から、猛烈に豊かな文化土壌があるわけですよね。だけど政治が安定せず、作り手が創作に打ち込む環境がなかったところに、ようやく90年代に入って、社会が安定してきたというのがある。そこに登場してきたのがジェイランだという位置づけが可能かと思うんですけれども。石坂さんはいつ頃からトルコ映画に注目しておられましたか。
石坂 ジェイランの、日本での2本目の紹介が『五月の雲』だったと思うんですね。2000年に国際交流基金主催の「地中海映画祭」というのがあって、僕はその主催側の人間だったわけですが。ジェイランは『カサバ~』で賞を取って、すでに大家の風格がありました。
矢田部 『五月の雲』はベルリンのコンペだったんですよね。1作目はフォーラムで、2作目はいきなりメインコンペに入っているというのは、かなり注目されていた。
曇天の作家ジェイランと2000年以降のトルコ映画
石坂 「地中海映画祭」というからには、地中海に面した国々の映画をやるわけです。ヨーロッパも入るし、中東も入る。その中で、ジェイランの映画はひたすら、曇り空なんですよね。だから地中海映画祭の中では非常に異色。『雪の轍』も太陽はほとんど出てこないわけで。今回もロシア文学の教養が詰め込まれているけど、相当な教養人だなという印象でした。
矢田部 曇天、というのはジェイランを語る上で大きなキーワードです。全部、と言い切ってもいいくらい、すべての作品が曇天ですよね。タイトルだって『五月の雲』とか『冬の街』とか。それが何を意味するのか、深読みするのも面白いと思うんですが。ジェイランの出現以降、トルコ映画がどんどん元気になっていきましたが、2000年以降のトルコ映画の盛況を、お二人はどのように観ておられますか。
市山 国際映画祭というのは、何か新たなテリトリーを常に探しているところがありますよね。「これは行ける」となると、一気に選ばれ始めるというか。そしておそらく国の中でも、例えばジェイランの映画が国際映画祭に出ると「自分も行けるんじゃないかな」というようなことで作り始める人もいるだろうと思います。明らかに2000年以降、トルコ映画は国際映画祭に出るようになりましたね。『蜂蜜』のセミフ・カプランオールとか『遙かなるクルディスタン』のイェシム・ウスタオウルとか。特にベルリンは、毎回最低でも3~4本ぐらいはトルコ映画が選ばれています。娯楽映画ではなくアート映画が出てくるようになったというのがひとつの傾向だと思います。
石坂 産業面を調べたんですが、製作本数からすると、2004年がどん底なんですよ。年間16本なんです。それはほとんどもう、産業は成り立たない感じですよね。ところが、2014年はトルコ映画100周年の記念すべき年で、ジェイランがパルムドールを取り、産業も史上最高の好景気で、108本。ケタひとつ違うんです。同時に、ヨーロッパの映画祭で受賞する作家が出てきたということで、非常に盛り上がっているんです。日本で紹介されるトルコ映画の質と量も両方反映されていて、矢田部さんと私は2007年からプログラムを組んでいるんですけれども、数えたら25本ぐらいやってるんです。他の映画祭でも結構、トルコ映画が網にかかってきている。カプランオールはアジアフォーカス福岡国際映画祭がフォローしてきたし、レハ・エルデムは全作品、東京国際映画祭でやってますね。私の大好きな作家です。それからレイス・チェリッキっていう監督も、もとはジャーナリストで、映画監督になったという、結構いい年齢の巨匠ですけれども、この人も佐藤忠男さんが福岡に紹介して以来、ずっと福岡で観ることができたり。その点においては、日本はこの10年ぐらい、トルコ映画はきっちり紹介してるんじゃないかと思います。
市山 日本でジェイランは、長編は何らかの形で上映されているけれど、劇場公開は今回の『雪の轍』が初めてですよね。
矢田部 国際映画祭というサークルの中では、トルコ映画はとても注目されていると思うんですけれども、それもジェイランというリーダーが引っぱっていて。『昔々、アナトリアで』がカンヌに出た時の現地インタビューで、ジェイラン自身は居心地があまりよくないと。そして彼は商業的なものに対する興味が一切ないから、90分や100分という映画の尺については全くこだわっていないと。その1年後に作られたのが3時間15分の『雪の轍』だったわけです(笑)。つまりそういった芸術至上主義みたいなものがトルコにはあって、そこに若い作家がついていっているという構造が、ひとつあるのかなというふうに思うんですけど。
石坂 トルコのマーケットシェアは結構すごいんですよ。全興収のうち、国産映画が6割。ハリウッドを始めとする外国映画が4割ですね。日本も今それくらいですけど。で、売上の1位から10位までが全部トルコ映画なんです。ほぼ、シリーズもののコメディで、そういうところでお金が回っていて、アート系のフィルムが作られる素地も備わっている。
市山 確かにこの5~6年でほんとに増えましたね。トルコ映画のエントリーが。
石坂 その背景に、産業的な好景気があることは確かです。同時に、作家も出てきているという感じですね。
矢田部 アート系の映画もきちんと公開されて、それなりに形になっているという話も聞きますね。若手でも本当に毎年、楽しみな新人も多くて。この人が将来を背負っていくんじゃないかなと思ったセイフィ・テオマン監督が亡くなられて本当に残念なんですが。
石坂 ここ数年のトルコの映画に「テオマンに捧ぐ」というのが出てくるのは、そういうことです。若手のリーダー格だったので、相当影響が大きかった。彼のチームだった人が、今は散らばって、新しい動きを生み出していますけれども。テオマン監督には『夏休みの宿題』という作品があって、主人公はアリくんという少年なんですが、東京国際映画祭の上映のときに聞いたら、あれは台湾映画の影響だと言うんですよ。ホウ・シャオシェン(侯孝賢)とエドワード・ヤン(楊徳昌)が大好きだと。つまりトントンとヤンヤンだと。トルコの話なんだけど、映画的な背景としては、台湾なんだという話を聞きましたね。
市山 あと、今年のカンヌで『ムスタング』という映画が話題になりましたよね。
矢田部 謳い文句が「トルコ版『ヴァージン・スーサイズ』」という。
市山 最近、映画祭でバイヤーが盛り上がるというのはめっきり少なくなっていて。有力な作品はすでにプリバイが成立していて、売れないものが最後まで残るというケースが多い中で、この映画は始まったとたん、場内が大騒ぎになったんです。バイヤーもあわてて取り合いみたいな状態になって。その作品が、一見するとアメリカのインディーズ映画みたいに見えるんですよね。よく見ると、トルコの昔ながらの風習とか、家庭に対する反発とか、トルコならではのことが出てくるんですけど。トルコの娯楽映画とはちょっと違うんだけど、一般のお客さんが熱狂するような作品が出てきて、可能性を感じましたね。
石坂 トルコ映画は、テーマの幅が広がってきていますよね。ちょっと前の軍政の批判とか、クルド人の描き方の幅も相当広がってきて。そういうことが、映画の質に大いに反映されていると感じます。市山さんがよく紹介されていたバフマン・ゴバディも、……
市山 あれはトルコとイラクの合作ですね。ゴバディは今トルコのパスポートを持っているので、撮影も全部トルコでした。
石坂 つまり「クルディスタンを描いた映画」と「クルディスタンが描いた映画」の両方があるわけですよね。映画においては国籍はあまり意味が無いなと思います。内容的にも、フセイン・カラベイ監督の『私のマーロンとブランド』は、作家がトルコに住むクルド人で、イスタンブールの女の子が長距離バスに乗るロードムービーなんですね。国境線まで行って、ビデオレターで文通してた相手の男と会えるかどうか、という話で。
矢田部 あの作品は、あのテーマに踏み込んだ点で画期的とされましたね。
石坂 娯楽映画の大作で『私は太陽を見た』という作品もあります。同じ家の中で、トルコ軍とゲリラ軍に分かれてしまった兄弟の話が軸になっていて。後半は大河ドラマみたいに、村を追われてノルウェーまで移民していくという、二部構成の大作でしたけれども。でもジェイランは社会的というよりは、人間的というか。『雪の轍』にそれが一番出ていましたけどね。人間は善と悪の二元論では決してないという。でも実はデモの犠牲者へのメッセージを表明したり、社会的な意識を持つ作家でもあると思います。
市山 野中恵子さん(トルコ評論家)からお聞きしたところによると、結構ちくちくと、いろいろなところに社会的な問題があるらしいです。我々にはわからないけれど、トルコ人が観ると「これだ」ってわかるようなことを、どうも入れてるらしくて。そのへんはキアロスタミ的というか(笑)。一見すると何の社会派でもないように装いつつ。僕も、指摘されないとわからないようなことなんですけど。
石坂 それから、カンヌに愛される監督というのが各国、いろいろいるなと思うんですね。日本で言うと河瀬直美さんや是枝裕和さんとか。トルコは、ジェイラン。という感じですよね。
市山 他の人がコンペに入ってくることが、ないですよね。ユルマズ・ギュネイのあとは、ジェイランしか出ていない。
石坂 カプランオールとエルデムは、ベルリンでよく観ますね。ドイツはトルコ移民も多いし、お客さんがすごいですよね。ベルリンでトルコ映画をやると。
矢田部 ファティ・アキンみたいな人もいますからね。
市山 トルコ映画とは、呼びがたいですけどね。
矢田部 「“あいだ”をつなぐ人」ではあるかもしれないですね。
市山 ジェイランとは関係ないのですが、トルコ映画についての『リメイク・リミックス・リップオフ』というドキュメンタリーを観ました。60年代以降の娯楽映画の歴史を追うんですけど。一番面白かったのは、トルコの娯楽映画って、いろんなもののパクり大会なんですよ。『スター・ウォーズ』とか『スーパーマン』とか『オズの魔法使い』とか、『エクソシスト』まである(笑)。
一同 (笑)
市山 つまり、イスラム圏とは言いながら、トルコは自由なんですよね。何でもあり。70年代にはポルノ映画ブームが起こったらしいんですね。ハードコアなポルノが映画館にかかって、うっかり入ると気まずい思いをするという(笑)。軍政になってから禁止されたらしいんですけど。もちろんジェイランはそれとは関係ない世界で生きているでしょうけど、映画作家はまったく何もないところから出てくるというよりも、娯楽映画が盛んだという背景のもとに出てくるのかなと思いますね。
ただやっぱり、みんな検閲と戦っているという話が、その映画にも出てきました。イスラム政権の強い頃、「トルコに銀行強盗は存在しないから全部カットしろ」って言われて、警察に連行されてしばらく拘置されたという。今年も、イスタンブール映画祭でも騒ぎになっていましたよね。検閲に抗議していろんな映画作家が自作を取り下げて、コンペティションができなくなった。
石坂 ギュネイは「獄中監督」ということで日本でも話題になりましたね。でも、もともとのイメージは高倉健なんですよね。俳優で任侠ものの大スターが、社会派映画の監督をしたという。コマーシャルと社会性の橋渡しをしていたというところで、非常に伝説的な作家だと思うんですけれども。
ジェイラン映画の魅力
矢田部 では、お二人のお気に入りのジェイラン作品をうかがってもいいですか。
市山 僕は全部観ているんですけど、やっぱり『カサバ~』が一番好きですね。観て新鮮だったし、その後の、カッチリとした画を好む傾向よりも、もっと自然主義的な方向が僕個人の好みではありますね。ベルリンで観て以来なので、もう一度スクリーンで観たいなと思う作品です。
矢田部 自然主義的なものもありながら、私小説的な側面もありますよね。
市山 そうですね。ある意味、結構ばらばらなんですよ。一貫して「こうだ」という姿勢はありつつも、テーマ的にはいろんなものを撮っているので。作家としてどうだ、というのを簡単に説明しづらい監督のような気がする。
石坂 私は『雪の轍』。さきほど話に出た『五月の雲』と『雪の轍』では、あまりつながらないんです。空の色だけがつながるという(笑)。『雪の轍』はロシア文学の、結構マイナーな短編のコラージュなんですが、いろんなアジア映画を観ていると、「ロシア文学映画」が非常に多いんですね。特に最近よく目につく。たとえばフィリピンも今、トルコと並ぶ映画絶好調期、第三期黄金時代と言われているんですね。今年の東京国際映画祭ではフィリピン映画を特集しますけれども。カンヌで愛されている、ブリランテ・メンドーサという監督と、ラヴ・ディアスという監督がいるんですが、ラヴ・ディアスの『北(ノルテ)―歴史の終わり』はドストエフスキーの『罪と罰』のその後の話なんです。醜さも含めた人間の本質をつきつめるという意味では、ジェイランと通じるものを感じます。
それからカザフスタンにダルジャン・オミルバエフという監督がいるんですが、『ある学生』という作品も「罪と罰」なんです。
市山 あと、トルコではゼキ・デミルクブズが『罪と罰』をモチーフにした『ザ・ウェイティング・ルーム』を撮ってますよね。
石坂 もちろん黒澤明やオーソン・ウェルズの時代から世界的な文学の映画化はあるわけですけど、汲めども尽きぬインスピレーションの源という感じが、今は目立ってきていますね。
矢田部 ジェイランが言うには、自分はまったくシネフィルではないと。自分が影響を受けたのは、映画ではなく文学だと。文学はどんなに厚い本でも、自分の自由に尺を使える。でも映画は90分や100分の制約があるから、僕はそれを文学の方へ近づけたい、ということを明確に言っていますよね。それが『雪の轍』には顕著に出ているなあと思います。僕は『カサバ~』を観た時に、ちょっとロベール・ブレッソン的だなと思ったりもして、……
市山 ブレッソン、好きでしょうね。
矢田部 そうですよね。ブレッソンと文学を前提に『雪の轍』とジェイランを考えると、面白いものが出てくるのかなあと思いました。
石坂 あの映画は夫婦の言い争いの話じゃないですか。で「夫婦」「言い争い」となると、イングマール・ベルイマンという巨匠がいるわけで。
市山 ああ、確かに「ベルイマンかな」とは思いました。カンヌで受けた第一印象として。
矢田部 僕の好きな作品を言ってもいいですか。僕も全部観ているんですけど、前期と後期に分かれていて。『カサバー町』『五月の雲』『冬の街』が前期。『うつろいの季節(とき)』が過渡期。『スリー・モンキーズ』『昔々、アナトリアで』『雪の轍』が後期かなと思うんですが、僕は『スリー・モンキーズ』がとてもとても好きで。市山さんがおっしゃったように、画がかっちりし始めたことと、いわゆる映画話法、物語のポイントになる出来事を描かずに、その後のリアクションだけでつないでいくという話法がここから確立されている。僕はここからジェイランが、「曇天作家」の本領発揮で、「曇天三部作」というか「囚人三部作」というか、「囚われる」ということがひとつのテーマになっていると思うんですね。『雪の轍』も、みんなあのホテルの中に囚われていて、自分のエゴの囚人になっているというところに、作家としての今の一貫性みたいなものを感じて。その意味で『スリー・モンキーズ』は、彼の今の勢いを決定づけた一本だと思います。
市山 トルコの若手監督は曇天が多い気がしますね。カプランオールの『エンジェルズ・フォール』がまさに曇天の映画だったし、ベルリンのフォーラムに入っている映画も、曇天のものが多いです。それは『スリー・モンキーズ』の影響かもしれないですね。
石坂 ぜひ秋まで待っていただいて、過去の作品までご覧いただければ、すごく豊かな映画体験になると思いますね。
矢田部 『雪の轍』も、ぜひご覧ください。3時間15分とはいえ、「観ると長くない!」っていうのがわかると思います(笑)。ジェイラン作品はぜひスクリーンで観ていただきたいですね。