ストローブ=ユイレの処女短編。ハインリヒ・ ベルの短編「首都日誌」に基づき、西ドイツの首都ボンを舞台に、元ナチの軍人マホルカ=ムフを通し、戦後の再軍備をユーモラスに風刺する。主演は作家・ジャーナリストのエーリヒ・クービー。
複数の時制が交錯する、ベルの長編小説「九時半の玉突き」を、55分に圧縮再構成。ケルンのある現在時の一日を中心に、三世代にまたがる建築家一族の数奇な歴史を語りながら、戦後も権力を掌握し続ける旧ナチ関係者を痛烈に風刺する。
10数年の構想を経て実現したストローブ=ユイレの原点となる野心作。バロック期の大作曲家J・S・バッハの後半生を、演奏場面を中心に妻の視点から語る。古楽器演奏の大家グスタフ・レオンハルトが大バッハに扮し、見事な演奏を披露する。
オーストリアの劇作家フェルディナント・ブルックナーの三幕戯曲「青春の病」を約10分に圧縮したミュンヘンでのストローブ演出の舞台上演の映像に続き、その出演女優の結婚式とその後の顛末が描かれる。R・W・ファスビンダーらが出演。
17世紀フランス・ バロック演劇の大作家ピエール・ コルネイユの埋もれた悲劇「オトン」を、現代のローマの廃墟で、フランス語の不得手な素人が演じる。暴君ネロ亡き後の混迷する帝政ローマの政略劇が、恋の駆け引きを交えて語られる。
ブレヒトの未完の長編小説「ユリウス・カエサル氏の商売」の一部を再構成。カエサルの共和制ローマが資本主義の台頭と共に不公正を生み出す過程を、カエサルの同時代人たちが、現代のローマ市街を車で移動する現代の青年に対し証言する。
1923年に作曲家シェーンベルクが、友人の画家カンディンスキーの反ユダヤ主義的発言に対して書いた激烈な絶縁状の朗読に、シェーンベルクが架空の映画音楽として作曲した曲が重なる。1935年のブレヒトの反資本主義演説も引用される。
「出エジプト記」に想を得たシェーンベルクの未完のオペラ「モーゼとアロン」を未完の第3幕も含め映画化。指揮はミヒャエル・ギーレン、演奏はオーストリア放送交響楽団。ユダヤの民がエジプトの地を出るまでの兄弟の思想的対決を描く。
イタリアの詩人フォルティーニが、1967年の「六月戦争」を機に執筆した政治的エセー「シナイの犬たち」を作者自身が朗読する。ユダヤ人の父とカトリックの母を持つ著者のファシズム体験と、現代における中東紛争に対する階級闘争的解釈が交錯する。
ステファヌ・マラルメの革命的な詩「賽のひと振りは決して偶然を廃棄しないであろう」を、1871年のパリ・コミューンの闘士の最後の拠点となったペール・ラシェーズ墓地の芝生に座った、様々な言語を母語とする九人の男女が代わる代わる音楽的に朗読する。
イタリアの作家チェーザレ・パヴェーゼの未完の神話的対話篇集「レウコとの対話」の6篇「雲」「キマイラ」「盲人たち」「狼人間」「客」「火」を映画化した第一部と、パヴェーゼ最後の長編小説「月と篝火」を圧縮再構成した第二部からなる。
風景が映し出される中、第一部ではエンゲルスのカウツキー宛て書簡に基づき、18世紀末フランス農村の貧困状況が分析され、第二部では、マルクス主義的階級史観に基づき、近現代のエジプトにおける農民蜂起の歴史が画面外で語られる。
五月革命の影響下に書かれたマルグリット・ デュラス唯一の童話「ああ!エルネスト」の映画化。7歳の小学生エルネストは登校拒否宣言をし、両親と共に小学校の教室で教師と面談する。だが教師は結局、エルネストを説得することができない。
カフカの未完の長編小説「失踪者」(旧題「アメリカ」)の映画化。故郷を追われ、船で単身アメリカにやってきたドイツ人青年カール・ロスマンが様々な階級関係の中で挫折と抵抗を繰り返す。主要場面はハンブルクとブレーメンで撮影された
イタリア国営放送で1985年年末の深夜に放映された四部構成の番組。D・W・グリフィスの無声短篇映画『小麦の買い占め』全篇、『モーゼとアロン』、『フォルティーニ/シナイの犬たち』、『雲から抵抗へ』各抜粋で構成。
フリードリヒ・ヘルダーリンの1798年執筆の未完の二幕悲劇を完全映画化。古代シチリアの詩人哲学者エンペドクレスが民衆と訣別し、自ら死を選ぶまでの物語が、シチリアのラグーサとエトナ山中腹を舞台に、晦渋な詩句によって語られる。
ヘルダーリンの「エンペドクレスの死」の1820年執筆の第三稿の映画化。ストローブ=ユイレはこの第三稿は映画化不可能と考えていたが、ベルリン・ シャウビューネ劇団による舞台脚色版に不満を覚え、原作に忠実な映画化を決意した。
詩人ジョアシャン・ガスケの著作「セザンヌ」に含まれるセザンヌの発言の朗読に重ねて、セザンヌゆかりの土地やセザンヌの絵が映し出される。ジャン・ルノワール監督の『ボヴァリー夫人』の抜粋と共に『エンペドクレスの死』からの二つの抜粋の挿入もある。
ベルリン・シャウビューネ劇団の委嘱による舞台演出に基づく映画。ソポクレスの悲劇「アンティゴネー」をヘルダーリンが特異な方法でドイツ語に翻訳、それを基に1948年にブレヒトが改訂した版を古代円形劇場で様式的に映画化している。
国粋主義的作家モリス・バレスの長編小説「コレット・ボドッシュ」の一部を用い、ストローブの生地でもある、フランス北東部ロレーヌ地方の中心都市メスの悲劇的な歴史が語られる。「ロートリンゲン」とは「ロレーヌ」のドイツ名である。
12音技法によるシェーンベルク唯一の時事オペラを、ミヒャエル・ギーレン指揮、フランクフルト交響楽団の演奏により映画化。リブレットはシェーンベルク夫人による。倦怠期のブルジョワ夫婦のすれ違いと和解の室内劇が滑稽に描かれる。
シチリア出身の作家ヴィットリーニの長編小説「シチリアでの会話」の一部分を、序曲と六つの楽章に再構成。主人公は15年ぶりにシチリア内陸の貧しい母の家を訪ねる。彼は道中に偶然出会った人々と会話し、母に昔話を聞き、山間部の村の研ぎ屋と立ち話をする。
ヴィットリーニの未完の長編小説「メッシーナの女たち」の交響的な複数の独白からなる章を映画化。イタリアで終戦直後の混乱の中、行き場を失った労働者、農民たちがある山中で共同体を作り、苦難を乗り越え、ひと冬を越した物語が、夏の涸れ谷で語られる。
『労働者たち、農民たち』の挿話を再利用した『放蕩息子の帰還』と、その後日譚『辱められた人々』の二部構成。後者では、山中の共同体に地主代行や元パルチザンらが訪れ、土地所有権を侵害する違法性、自給自足経済の割りの悪さを説き、共同体を崩壊させる。
映画『セザンヌ』に続き、ジョアシャン・ガスケの創作的回想録「セザンヌ」のガスケとの対話の一部を参照しつつ、セザンヌが見たであろうルーヴル美術館所蔵の美術作品を注視する。対話の形で語られるセザンヌの思弁的な絵画論が女性の声で画面外で語られる。
パヴェーゼの神話的対話詩篇「レウコとの対話」の最後の5篇「人類」「神秘」「洪水」「ムーサたち」「神々」を映画化。古代ギリシャの神々、半神半人、森の精、死すべき運命を持つ人間らの間で交わされる対話がオリュンポスに見立てた山腹で演じられる。
ストローブ=ユイレが初めてDVを用いたシネトラクト。イタリア国営放送の委嘱により2006年春に撮られた。警察に追われ変電所に隠れていた15歳と17歳の移民少年が感電死したクリシー=ス=ボワの事故現場を撮影する。この事故が各地の暴動のきっかけとなった。
「レウコとの対話」の1篇、エンデュミオンと見知らぬ者の対話「野獣」の映画化。監督名義はストローブ単独である。パヴェーゼ生誕100周年の2008年に公開予定だったが、2009年に延期された。出演は『あの彼らの出会い』のダリオ・マルコンチーニとアンドレア・バッチ。
ジャン・ブリカールは1932年にロワール河近辺で生まれ、その地域で暮らし、92年に引退するまでヴェルト島の砂質採取事業の責任者だった。ドイツ占領期などの過去を振り返る彼の談話は、1994年2月24日に社会学者ジャン=イヴ・プチトーが録音したものである。
「レウコとの対話」の1篇、魔女キルケーと女神レウコテアーの対話「魔女」の映画化。仏語題「女だけで」は同じパヴェーゼ原作のアントニオーニ『女ともだち』(1955)の仏語題。ジョヴァンナ・ダッディ、ジョヴァネッラ・ジュリアーニ出演。
2009年7月8日、34歳の活動家、映画作家ジョアシャン・ガッティはモントルイユでデモ活動中、警官にフラッシュボールのゴム弾で撃たれ、片目が破裂し、視力を失った。本作では、事故以前の彼の写真にルソーのテクストがかぶさる。
副題「ローマ、私が恨む唯一のもの」。コルネリア・ガイサーがコルネイユの「オラース」第4幕第5場と「オトン」の短い一節を読む。その後、ブレヒトのラジオ劇「ルクルスの審問」が読まれる。編集の異なる3ヴァージョン上映。
ダンテ「神曲」天国篇・最終第33歌、第67節「おお至高の光」から最後までを、ジョルジョ・パッセローネが朗読する。冒頭の黒味にシェルヒェン指揮、エドガー・ヴァレーズ「砂漠」初演ライブ演奏(1954)が流れる。
バレスの「東方の砦」三部作の第一作「ドイツに仕えて」の抜粋に基づき、アルザス守護聖人の修道院がある聖オディル山でデジタル撮影。ストローブ自らロレーヌ人に扮し、ジョゼフ・ロトネール扮するアルザス青年と対話する。
フランツ・カフカの寓話短編の映画化。音楽はジョルジュ・クルターグ「カフカ断章」作品24(1986)第四部第39曲「またもや、またもや」。出演はバルバラ・ウルリヒとジョルジョ・パッセロー二。ストローブが声のみ出演。
「レウコとの対話」の一篇の映画化。吟遊詩人オルペウスを八つ裂きにする運命にあるバッケー(酩酊する狂暴なトラーキアの女)の一人にジョヴァンナ・ダッディ、最愛の妻エウリュディケーを亡くしたオルペウスにアンドレーア・バッチ。
「レウコとの対話」の一篇に基づく。女狩人アタランテーを含む勇士らと猪狩りに参加した、王の息子メレアグロスは、母親アルターアーの呪いで殺された。ヘルメースにジョヴァンナ・ダッディ、メレアグロスにダリオ・マルコンチーニ。
モンテーニュ学者アルマンゴーにより1934年にパリに寄贈され、ソルボンヌ大学北のポール・パンルヴェ小公園にあるポール・ランドフスキ作のモンテーニュの坐像の近くで、『エセー』第2巻第6章「実習について」がバルバラ・ウルリヒにより朗読される。
ヴェネツィア国際映画祭の第70回目を記念する連作動画『ヴェネツィア70:リロードされた未来』の一篇。バレスの旅行記「ヴェネツィアの死」第3章「アドリア海の水平線上に漂う影たち」の頁の一部とメモが映し出される。
ストローブ=ユイレが1954年に映画化を構想したという、ベルナノスの1928年の同名小説に基づく。一組の男女あるいは彼らの影が木陰で対話する。パリで稽古された後、ノルマンディのフレール近郊で撮影された。フランソワーズ役はコルネリア・ガイサー、ジャック役はベルトラン・ブルデールが演じる。
河岸の木と枝の長廻し2ショットに重ね、バレスの旅行記「愛と悲しみの聖地」(1903)の一篇「ヴェネツィアの死」第3章「アドリア海の水平線上に漂う影たち」の一節が読まれる。ナポレオン、ゲーテ、シャトーブリアンの歴史的記憶。最後に『アンナ・マグダレーナ・バッハの日記』(1968)よりカンタータ BWV205のアリアが演奏される。
2014年スイスのロールでCannon5Dで撮り下ろした、マルローの同名小説(1935)に基づく「侮蔑の時代」に、ストローブ=ユイレの旧作5本『労働者たち、農民たち』『フォルティーニ/シナイの犬たち』『早すぎる、遅すぎる』『エンペドクレスの死』『黒い罪』からの抜粋を加えた6部構成の作品。
精神分析医ジャン・サンドレットのテクストに基づく、室内のワンショットで撮られたシネトラクト。あるフランス人の男がもう一人の男を銃で脅しながら、かつてアルジェリア戦争で殺人を命じる上官を殺して逃げた過去を語る。出演者は本作の撮影監督クリストフ・クラヴェールと録音技師ディミトリ・オレ。
パリの東洋料理店の金魚の水槽の映像に続き、精神分析家エメ・アグネルがマルローの小説「アルテンブルクのクルミの木」第二部の一節を読み上げ、最後にルノワールの映画『ラ・マルセイエーズ』の抜粋が引用される。
2015年4月1日、スイスのシュタートキノ・バーゼルで撮影監督レナート・ベルタの70歳の誕生日を祝うために作られた。ベルタがウーゴ・ピッコーネと共同で撮影監督を手がけた『オトン』の抜粋と撮影現場の写真で構成。
2014年9月以後、ポンピドゥ・センターが企画に関連する映画作家に発注している動画コレクション「目下の進捗状況は?」の1本として、ストローブとユイレの全作品上映に際し、ストローブが自宅で猫たちを撮った動画。