フォンタン自身の生家を舞台にした3部作の第1作。監督の両親が演じるフリオとマリアの老夫婦の家の前の古いアカシアの木は、朽ちているのか、生きているのか?木は彼らに子供が生まれた日に植えられ、家族の歴史を見つめてきた。家にやってくる隣人たち、記憶、雨、風、2年越しでとらえた季節の推移、そして幽霊・・・さまざまな訪問者たちが彩る詩的な時間。
フアン・L・オルティスの詩に想を得た作品で、「川の3部作」の第1作目。オルティスの詩に合わせ、川をたどってゆくカメラはやがて鬱蒼としたエントレ・リオスの森の中へ進み、オルティスのドキュメンタリーからの引用コラージュを通過して、いつ果てるとも知れないさまよいの旅へと向かってゆく。
フォンタン監督の劇映画第2作目。酒に溺れて放蕩する母親と、それを見つめる息子(フォンタン監督の息子が演じている)とその恋人の日常を描く。繊細極まるオフスクリーン・サウンドとモノローグ、顕微鏡的にとらえられる事物や自然の美しさを自由奔放に駆使し、映画はフィクションとドキュメンタリーの境界を嘘のように超えてゆく。
ブエノスアイレス州バンフィエルドにある監督自身の生家を舞台にした3部作の第3作目。かつて住んでいたその家には、今や誰も住んでいない。家族の記憶に満ちた部屋、事物、光、物音…。映像それ自身から、かつて人々の生きた時間へと遡行していく。だがその運動は不意に断ち切られる。
フォンタンによる「川の3部作」の第2作目。ボートに乗ってパラナ川の浮島にやってくる一人の男。そこに生活する人々と自然の光景と音を、台詞もなく、フィクションとドキュメンタリー、8ミリと16ミリの黒白フィルムを混合しデジタル化した荒々しい粒子の戯れの中で、現れては消えてゆくさまざまな美をとらえていく。
アルゼンチン文学の巨匠フアン=ホセ・サエールの小説の翻案で、「川の3部作」の3作目でもある。大晦日を過ごすために、妻との葛藤を抱えながらも、パラナ川の家にやって来るウェンセスラオ。明るく白い光と静寂に至る音響の繊細さがハーモニーを奏でる。オウレンセ国際映画祭監督賞、ナント三大陸映画祭スペシャル・メンション。