78年に設立されたイギリスの自主レーベル「レコメンデッド・レコード」を主宰し、自らもドラマー、パーカッショニストとして多くのバンドで活躍して、商業主義ではないもうひとつのロックを世界に発信し続けてきたクリス・カトラー。そのカトラーの日本公演の模様を捉えつつ、彼の言葉、活動の源でもある思考を収めた作品。
©️SLOW LEARNER
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生前に残されていた中上健次の撮影した16ミリフィルム。それはいずれ目の前から消えていくだろう「路地」が映されているものであった。もはや現実にはないだろうその「路地」を巡っての旅が始まる。「岬」「枯木灘」「千年の愉楽」など6作が朗読され、大友良英、坂本龍一らの音楽が重なるうち、新たな「路地」が浮かび上がる。
「アーント・サリー」などでの活動により80年代ポスト・パンク・シーンでの伝説ともなったPhew。その活動は日本にとどまらず、イギリス、ドイツなどにも広がる。そんな彼女が世紀末から新たな活動を始めた。ソロプロジェクトであるBig Picture、バンドとしてのMOST。その軌跡を振り返りつつ、新しい音楽の現在と未来を見つめる。
「国民文化祭・ぐんま2001inたかさき」のために映画美学校研究科生と共に制作。2001年の東京の風景に、中野重治や漱石などのテキストの朗読が重なり、昭和天皇や幸徳秋水・管野スガ子のイメージが挟まるシンボリックで政治的な野心作。最後、唐突に並ぶ名だたる映画作家たちの肖像が、今なお続く「闘い」の記録として観るものに迫る。
北九州3部作ではお馴染みの秋彦=斉藤陽一郎の、古ぼけたアパートでの日常が描かれる。まるでサム・ペキンパーの映画のような、「うだつのあがらない」人生の一瞬が緩慢に引き伸ばされ、炸裂する。韓国のチョンジュ映画祭からの「新しい」「デジタル」「インディペンデント」をテーマにという依頼を受けての中編作品。
金沢を代表する小説家・徳田秋聲が大正から昭和初期にかけて執筆した『挿話』『籠の小鳥』『旅日記』などを、サンプリング&エディットした中編。秋聲が見ていたはずの金沢と、青山が見た撮影当時の金沢。あるいは変化を受け入れる人々と拒む人々など、異なる要素の組み合わせによって、独自の時間と空間がそこに出現する。
横浜国立大学の依頼によって製作された建築学科PR映像。光石研扮する新任の教授があたかもトワイライトゾーンに紛れ込んだかのように建築学科のキャンパス内を彷徨する。光石自身のナレーションによるテキストに導かれながら、たむらまさきが建築や機械を切り取るフレームの連鎖に身を浸すことの快感と驚きに満ちた短編。
1978年、32歳で逝去した音楽批評家・間章(あいだ・あきら)を追った、7時間30分。映画美学校・研究科の青山ゼミのメンバーと共に制作された。批評家、音楽家、美学者たち計12人へのインタビューと演奏によって示される、間章の思考と実践の姿を示しつつさらにそこからはみ出していこうとする運動をとらえたドキュメンタリー。
多摩美術大学映像演劇科の学生や教員とともに制作した『FUGAKU』シリーズ第1作。映写技師Kがエージェントに連れられ辿り着いた山奥の湖畔。「犬小屋」と呼ばれるその場所を舞台に、既存の言葉やイメージの引用、キャストやスタッフから導かれたアイデアが渦を巻き、映写機が回り、映画はゾンビのように何度も蘇ることになる。
湖畔の田舎に帰ってきた大女優とその恋人の人気作家たちを招いて、女優の息子が自作の芝居を披露する場面から始まる群像劇。チェーホフの戯曲『かもめ』を原作するが、3時間近くかかる戯曲の台詞は上映時間40分になるまで刈りこまれる。その最小限の台詞と舞台装置によって一体何が前景化するのか。映画はそれを捉える。
大学のキャンパスを舞台に「総裁」の暗殺を目論む一団が繰り広げる銃撃戦と、大学の映画祭のテーマ曲を作るために集った学生と教授の会話が並行して展開する。学生や卒業生や外部の人材も多数参加、キャストとスタッフが入り混じって撮影され、公式クレジットもない。タイトルに「U」を欠いたまま、未完であり続ける映画。