1963年にキューバを襲った巨大ハリケーン「フローラ」の爪痕を生々しく記録した、アルバレスの初期代表作。アニメーションや音楽、大量の報道映像を組み合わせて的確に情報を伝えながら、人々のまなざしを詩的に記録することに成功している。キューバ革命ドキュメンタリーの新時代を告げる作品。
不屈のアフリカ系アメリカ人ジャズ歌手レナ・ホーンの力強い歌声にのせて、自由自在にスチル写真や記録映像がモンタージュされるアルバレスの代名詞的作品。映像と音楽がそれぞれの素材としての強度を保ちながら、手を取り合って人種差別を告発するこの映画は今なお新鮮なエネルギーに満ちている。
プエルトリコで開かれる中央アメリカ・カリブ競技会へ出場するキューバ選手団に随行したアルバレスのカメラは、アメリカ合衆国の思惑により海上で孤立する選手団の船と、プエルトリコの植民地的状況を映し出す。躍動するスポーツ選手の身体とその影でうごめく政治との関係性が暴かれる。なおこの船の名は、革命時の戦闘の名前(「剥き出しの丘」の意)に由来する。
ハノイを襲ったアメリカ軍の北爆を、アルバレスが現地で記録し、のちに大胆な構成で仕上げた作品。ハノイの日常を人類学的に提示しながら、アメリカ軍の苛烈な爆撃による破壊を対置する。人々の繊細な身振りと、それを破壊する戦争への憎悪が新しい映像言語で紡がれるアルバレスの代表作。
1967年にボリビアで命を落としたチェ・ゲバラを追悼するこの映画は、フィデル・カストロの命によって制作され、革命広場に集った大群衆の前で上映された。ラテンアメリカにおけるチェの功績を称えながらも、アルバレスは革命の英雄を偶像化することへの牽制も忘れていない。
冴え渡るアルバレスのコラージュがアメリカのジョンソン大統領を強烈に皮肉る。3部構成でキング牧師、ロバート・ケネディ、そしてジョン・F・ケネディを取り上げながら、そこにアメリカの資本主義社会が生み出したイメージ群(広告、雑誌、映画など)を反転させて利用している。
ベトナムの英雄ホー・チ・ミンを追悼するこの映画は、ベトナム戦やキューバ革命、アメリカの反ベトナム戦運動のフッテージが用いられている。目まぐるしく変化する情動的な映像と音楽が最後にはフィルムの臨界点にまで達する様は圧巻。ゴダールも賞賛を惜しまない、アルバレスの最高傑作である。
自ら「政治パンフレット」と名乗るこの作品では、低開発に喘ぐキューバ東部地域での集中的な開発計画が報じられる。革命から10年が経過したにもかかわらず、問題が山積みである現状をアルバレスは大胆不敵にモンタージュする。革命の進歩をゼロに戻しかねない問題作。その後、クリス・マルケルの『一千万の闘い』(1970)で本作の大部分が引用された。
『L.B.J』ではジョンソン大統領だったが、この作品ではニクソン大統領がオペラ形式で皮肉られる。悲喜劇役者としてのニクソンの表情や身振りと、戦場の兵士たちの生々しい顔つきの対比が印象的。写真と音楽の組み合わせから生まれる語りには、冷静かつ情熱的な力強さがある。
ベトナム戦争が泥沼化しつつあるなかでニクソンが行ったラオス侵攻を報じたニューズリール。迎え撃つラオス軍の戦略や苦戦するアメリカ軍の情報が矢継ぎ早に示されながら、戦地の写真や映像が軽快な音楽とともに綴られる。皮肉で茶化した表現の裏に、どす黒い死の影がついてまわる。
1973年チリ、CIAとピノチェト将軍の手により崩壊したアジェンデ政権へのアルバレス流の追悼歌。作品前半ではビオレタ・パラの歌声で反乱軍の残虐さを暴き、後半ではクーデター中に殺害された国民的歌手ビクトル・ハラの歌声を主旋律にして、祈りのように第三世界の連帯が謳われる。
1976年、バルバドス上空でクバーナ航空455便が反革命テロリストに爆破された。乗員乗客73名が死亡し、そのなかにはアルバレスの妻も含まれていた。60年代の実験的かつ好戦的な作風からは一歩引きつつ、フィデルの演説やキューバ国民の語りから静かな怒りの感情と革命への意志を引き出している。
サンティアゴ・アルバレスの生涯を10章立てで辿った本作は、アルバレスの表現方法を用いながら、彼の作品断片と言葉を引用して組み合わせていく。それは、映像と言葉、また音楽との対位法的な実験的構成であり、またアルバレスが描いた20世紀の激動する世界を新たな視線で再構築する試みでもある。YIDFF 1999でのオリジナル版上映後、翻訳など細かな修正を加え、『Accelerated Underdevelopment』と改題し発表。今回はオリジナル版での上映となる。