「鉄、麦、戦争」ーキング・ヴィダーは自分が作りたい映画として、この三つのテーマを挙げた。このうち「戦争」からはサイレント映画史上最高の興行成績を挙げた『ビッグ・パレード』が生まれ、「鉄」=日常の労働をテーマとしてアメリカ無声映画の最高峰ともいうべき傑作中の傑作『群衆』が生まれた。そして大恐慌のなか失業が大きな社会問題となった1930年代初頭、「私はこの全国的な不安と悲劇を映画で描くことができないだろうかと考えはじめた。『群衆』のなかから私の二人の主人公を取り出して、このもっとも困難だった時代にアメリカの若い夫婦がだれしも経験した苦闘のなかで二人を追ってみようと思ったのである。」「そこで私は地方新聞から記事の切り抜きを集めはじめた。そこで「リーダーズ・ダイジェスト」にある大学の先生が寄せた短い記事を目にしたのである。失業問題の解決として(中略)彼は共同体組織にのっとった農場を経営する可能性を 語っていた。」(キング・ヴィダー自伝より)
こうしてまとめた原案をヴィダーは最初MGMに持ち込んだのだが、「私にはこの結論はまったく理解できなかった」(自伝)決定で、この題材は「MGM向きではない」として却下された。失業問題を扱ったテーマの暗さ、それも社会主義的な理想を掲げるこの物語に大手スタジオはそろってしり込みし、結局ヴィダーは自宅を抵当に入れ、自力で資金を集め、独立プロとしてこの映画を製作することになる。脚本は当時のヴィダー夫人エリザベス・ヒルが執筆、台詞に協力したジョゼフ・マンキーウィッツ、撮影のロバート・プランク、音楽のアルフレッド・ニューマンと言った当時の一流のスタッフ達が、ヴィダーの理想に共感してほとんど手弁当で参加している。そしてヴィダーの親友チャールズ・チャップリンがユナイテッド・アーチストからの配給に尽力した。
ヴィダーは『群衆』でエキストラ俳優から主人公に大抜擢したジェームズ・マーレーを再び主演させようと考えていたが、マーレイはこのたった一本の成功の後アルコールに溺れ、ヴィダーの提案に関心を示さなかったという。マーレイは数年後にハドソン河で水死体となって発見された。自主製作の低予算映画で有名俳優はほとんど出演していないが、そのなかで1931年にヴィダーの『街の風景』で映画デビューし、「私が出会ったなかでもっとも優れた俳優」と呼ぶジョン・クォーレンが、主人公夫婦に最初に手を貸すスウェーデン移民の農夫として参加している。(クォーレンは後に『怒りの葡萄』『果てなき船路』『捜索者』などジョン・フォード映画の常連になった。)
映画は大部分がロケで、非常にリアリスティックなスタイルで撮影されているが、ヴィダーはそのなかに的確な様式化の演出を持ち込んでもいる。特に圧巻なのが日照りで壊滅寸前の農場に力を合わせて水路を引くクライマックス・シーン。ヴィダーは“サイレント音楽”と呼んで無声映画時代から繰り返し実験してきたテクニック(特に有名なのが『ビッグ・パレード』の森の中の進軍場面で、ヴィダーはここで伴奏音楽に大太鼓だけを用いるよう指示した)を使ったと語る。「私たちは一切の録音機材を排して、代わりにメトロノームと大太鼓を持ち込んだ。ツルハシは一拍目と三拍目に振り下ろし、スコップは二拍目に土に突き刺さり、四拍目に土を掻きだす。ワンシーンごとにメトロノームできっかりと四分の四拍子で演じられ、メトロノームの速度はワンカットごとに次第に速くしていったのだ。」(自伝)映画はこうして緊張を次第に高めながら、待望の水が畑にたどり着く感動のラストシーンへと文字通り人々の希望の奔流のようになだれ込んでいく。
『麦秋』は『ビッグ・パレード』『群衆』を引き継ぎ、ヴィダーの“現代アメリカの三部作”の最後を締めくくる傑作となった。折しもちょうどカリフォルニア州知事選挙が行われ、作家で社会主義的政策を標榜したアプトン・シンクレアが立候補、この映画は社会主義の浸透を恐れる一部の圧力で知事選終了後まで公開が遅らされるという憂き目にも遇った。ハースト系の新聞は「赤かぶれ」とこきおろし、「ロサンゼルス・タイムズ」は「あまりに左翼的で危険」として広告の掲載を拒否したという。一方でこの映画はモスクワの映画コンクールでも第二位になっているのだが、「(ソ連の)代表団の団長は本来なら私が第一等になるはずだったが、ただこの映画が『資本主義のプロパガンダ』とみなされてしまったのだと教えてくれた。」「実のところ、どちらの非難も的外れだ。(中略)私がこのアイディアを選び、アメリカのドキュメントとしてこの映画を作った。どちらの側からの意見にも影響されないようにしながら、現実だけを記録しようとしたのだ。多分現実は当時から言えば快いものではなかったのだろう。」(自伝)
映画作家が商業的利益や資本家の都合ではなくて自分に本当に関心があって本当に作りたいと思った映画を作る独立プロ運動の金字塔として、この映画は巨匠キング・ヴィダーにとって、そしてアメリカ映画の歴史のなかで、極めて重要な作品である。また1930年前後にはドイツでムルナウの『最後の人』やウルマーの『日曜日の人々』、フランスではルネ・クレールのトーキー初期の喜劇『ル・ミリオン』『巴里の屋根の下』『巴里祭』やルノワールの『ショタール商会』など、そしてアメリカではヴィダー自身の『群衆』や『街の風景』と、いわゆるポピュリズム的な傾向の映画の傑作が数々作られていた。『麦秋』はこの歴史的傾向の頂点を究めた作品でもある。
だがそんな歴史的な関心以前に、ヴィダーならではのおおらかで力強い演出が、1930年代という時代の空気、なによりもその当時の“群衆”の心をのびやかに描きだしていることに、そしてその思いが時代を越えてこの美しいフィルムに息づいていることに、この映画を見直す我々は、まず率直に感動するのである。
(あらすじ)
ニューヨークに暮らすジョン(トム・キーン)とメアリー(カレン・モーリー)のシムズ夫妻は、ジョンが失業中でアパートの家賃の払いも滞るような生活だった。毎日足を棒にして職探しに奔走しても、仕事は見つからない。そこでメアリーの叔父が「どんな仕事でもやる気があるのだったら」と言って、自分が抵当として抑えている農場を紹介してくれた。
希望に心を踊らせて農場に来たジョンとメアリーだが、しかし二人とも都会育ちで農業のことなどさっぱりわからない。ジョンが畑で悪戦苦闘していると、農場のそばをたまたまスウェーデン移民のクリス(ジョン・クォーレン)が通りがかり、ジョンは車のパンクを修理するのを手伝ってやった。クリス夫妻はミネソタの自分の農園を追われ、職を求めてカリフォルニアに行くつもりだが、もうガソリンもあまり残っていないという。ジョンはそれなら一緒にこの農場をやらないかともちかけ、クリスは喜んでこの申し出に応じた。その晩、クリス夫妻はお礼だといって手製の罠で採ったウサギのシチューを御馳走してくれた。ジョンはクリスのような境遇の人がまだまだたくさんいるに違いないと考え、様々な技量を持った失業者が集まって共同で農場を経営しようと考える。ジョンが道に建てた看板を見てたくさんの人々が集まり、共同体を作っていく。家を建てるのにも石屋が大工のために暖炉を作ってやり、そのお返しに大工は家の骨組みを建ててやるといった具合に、助け合いと交換の精神が根づいていった。ジョンが最初考えていたような、手堅い農民や職人だけでなく、葬儀屋やヴァイオリン奏者までがそれぞれに自分の役に立つ場所を見つけていった。なかには腕ずくで弱いものいじめをする不届きものもいたが、ルイー(アディソン・リチャーズ)という大男が正義感を発揮して解決する。クリスたちの推薦でジョンは共同体のリーダーに選ばれた。
農場が抵当流れになり、銀行の人間と郡保安官が競売の執行に来た。この苦しい時代でさえ、それを利用して金儲けをしようとする資本家たちと、それとグルの役人。ジョンには農場を落札する金なんてもちろんない。だが競売が始まると、みんなが買い手を取り囲んで無言の圧力で脅して黙らせ、馬鹿みたいな安値で農場を落札することができた。
その晩、雨の降るなかをサリー(バーバラ・ペッパー)という女が農場に助けを求めにきた。自動車で一緒に旅をしている父の様子が変だという。父親はもう亡くなっていた。ジョンたちは葬儀を出してやり、サリーにもいつまででもここにいていいと言う。だがサリーは労働にはほとんど興味のない自堕落な女で、この場所のリーダーであるジョンを誘惑しようと思っている。彼女の思惑にいち早く気づいたルイーは厳しく警告するが、サリ
ーは聞く耳を持たない。
農場では作物ができるまでは収入がない。みんなで持ち寄ったお金で買った食糧も底を尽きはじめていた。ルイーはクリスを呼び出し、自分は懸賞金つきのお尋ね者だと打ち明ける。これから自分を街に連れていき、保安官に突き出して賞金を受取れば、その金でみんなが助かる。クリスは自分は大事な仲間を売るような男ではないと怒って拒否。そこでルイーはサリーにその仕事を命じ、彼女が金を持ち逃げしないように「ジョン・シムズ夫
人」名義で小切手を出させるのだった。ルイーの犠牲で共同体には再び活気が戻った。ジョンたちはルイーに感謝し、彼が少しでも早く仲間たちにところに戻ってこれるように弁護士を頼んだ。
夏が来た。雨がまったく降らず、大事なトウモロコシ畑も危険な状態になった。天候だけは人間の力ではどうしようもなく、みんなの気持ちも絶望的に沈んでいく。ジョンにはその彼らの目が自分を非難しているように見えてならない。サリーは彼のそんな弱さに付け込んで、「あなたはこんなくだらない農場で埋もれている人じゃない。こんな連中は放っておいて一緒に街に行こう」と誘う。メアリーはなんとか夫を引き止めようとし、サリ
ーにも厳しく詰め寄るのだが、まったく役に立たなかった。ある夜、ジョンとサリーはサリーの車に乗ってこっそり農場を抜け出してしまう。
サリーの甘言に乗ったものの、ジョンには良心の呵責が重くのしかかる。そこでふと車を止めたところで、ジョンは近くの川の水力発電所が動いている音を聞いた。だとすると川には水が戻っている! この距離なら水路を掘って、まだ畑を救うことができる。ジョンはサリーを棄てて農場に走って戻った。夜中に鐘を鳴らしてみんなを集め、畑を救う最後のチャンスを訴えるジョン。だが一度は自分たちを見棄てたリーダーに、みんなの視線は冷たい。「僕のためじゃない、自分たちのためにあと一度だけ挑戦してみてくれ」と言うジョンに、ついにクリスが賛同した。そしてこれをきっかけに、みんながそろってもう一度ジョン・シムズに賭けることにする。夜明けとともに、用水路を掘る作業が始まった。