街の風景

Street Scene 1931年(80分)

監督/キング・ヴィダー

プロデューサー/サミュエル・ゴールドウィン 原作・脚本/エルマー・ライス 撮影/ジョージ・バーンズ 編集/ヒュー・ベネット 美術/リチャード・デイ 音楽/アルフレッド・ニューマン

出演/シルヴィア・シドニー(ローズ・モラン) ウィリアム・コリアー・ジュニア(サム・カプラン) マックス・マンター(その父、エイブ・カプラン) デイヴィッド・ランドー(ローズの父、モラン氏) エステル・テイラー(ローズの母、モラン夫人) ラセッル・ホプトン(サンキー) ルイ・ナソー(イースター) グレタ・グランステド(メイ・ジョーンズ) ブラー・ボンディ(エマ・ジョーンズ) T・H・マニング(ジョージ・ジョーンズ) マシュ・マクヒュー(ヴィンセント・ジョーンズ) アデル・ワソン(オルガ・オルセン) ジョン・クォーレン(カール・オルセン) アンナ・コンスタント(シャーリー・カプラン) ノラ・セシル(アリス・シプソン) ランバート・ロジャーズ(ローズの弟、ウィリー)

 写実主義演劇の劇作家エルマー・ライスの有名舞台劇「街の風景 Street Scene」を、原作にほぼ忠実に映画化。主要キャストもロサンゼルス公演からほぼそのまま出演している。ヴィダーはゴールドウィンからこのオファーを受けたときにはまだオリジナルの舞台を見ていなかったので、とりあえずロサンゼルス公演を見に行って感動し、即座に監督を引き受けたという。
 原作ではすべての出来事がブルックリンのあるアパートの前面ファサードだけで展開する群像劇。普通の映画化ならもう少し場面の転換にヴァリエーションを与えるべく、たとえば人物たちの職場であるとかの他の場所で展開するシークエンスを追加したり、アパートの外から眺めるだけでなく建物のなかに入ったりするところだろう。ヴィダー監督もどうやって映画化したらいいか迷った。そのときたまたま公園で、眠っている男の顔の上を蠅が飛び回っているのを見て、蠅にとって人間の顔は無限のヴァリエーションを持った風景になるのではないかと思いついたのだという。つまりたった一軒のアパートの前だけを一時間半映し続けたとしても、カメラの位置を工夫してさまざまな角度からその光景を観察することで無限の可能性が広がるというのだ。「構図こそがアクションになるのだ」「この映画で同じカメラ位置を繰り返した箇所はひとつもない」とヴィダー監督は語る。(ただし一か所だけカメラがアパートの前を離れるところがある。文字通り映画のクライマックスの瞬間なので注意していてください。) 
 ヴィダーはまずゴールドウィンのスタジオに建てた一杯のセットで俳優たちとリハーサルに入り、約一時間半の連続した舞台劇のような形でまず演技を完璧に完成させた。その時点でゴールドウィンやジャーナリスト、仲間の俳優や友人たちを招いていわばドレス・リハーサルを開いた。この“舞台”が大成功したあと、彼らはそのまま撮影に入った。完成された演技のなかにどのようにしてドラマチックなカメラ位置の無限のヴァリエーションを実現するのか? これは映像の密度と演技の質の高さの上で、ヴィダー演出のひとつの頂点を示す傑作である。
 また『街の風景』はヴィダーが「私が出会ったなかで最高の俳優と女優」というジョン・クォーレンとブラー・ボンディが初めて出演した映画でもある。スウェーデン系の訛りと独特の気弱そうな風貌で知られるクォーレンはその後ヴィダーの『麦秋』にも出演、また『怒りの葡萄』から『リバティ・バランスを射った男』まで (『シャイアン』にも出演したが、その場面はカットされた) のジョン・フォード映画の常連として知られる。一方ボンディは名性格女優としてレオ・マッケリー監督『明日は来たらず』(小津の『東京物語』の原案となった伝説的名作)、フランク・キャプラ監督『素晴らしきかな、人生! 』の優しさにあふれる母親から、ジャン・ルノワール監督『南部の人』や本作などの極度に偏屈で意地の悪い老母まで、幅の広い活躍を続けた。
 主演のシルヴィア・シドニーはこの同じ年のルーベン・マムーリアン監督の『市街』や、1937年のウィリアム・ワイラー監督の『デッド・エンド』など、この種の主題の映画にかなり出演している。またジョゼフ・フォン・スタンバーグの『アメリカの悲劇』やフリッツ・ラングの渡米後の三作品 (いわゆる“社会派三部作”) 『激怒』、『暗黒街の弾痕』、『真人間』など、他にも社会派的な名作への出演が多い。最近では『ハメット』(82)『ビートルジュース』(88)、『迷子の大人たち』(92)でも元気なところを見せている。

(あらすじ)
 ニューヨークの移民労働者区域のとあるアパートの前の歩道、今日もうだるような暑さのなかで日が暮れようとしている。このアパートには様々な出身の人々が暮らしている。スウェーデン移民のカール・オルセン(ジョン・クォーレン)とイタリア系のフィリッポ・フィオレンティーノ(ジョージ・ハンバート)はいつも、アメリカを発見したのがコロンブスかレイフ・エリクソンかをめぐって口論している。ユダヤ系移民のエイブ・カプラン(マックス・マンター)は社会主義者だが、机上の空論の理想論と現状批判をするばかりで自分は家からほとんど外にでないほど現実離れしており、みんなからやや軽蔑されている。とくに舞台の大道具係のモラン(デイヴィッド・ランドー)は無骨な古きよきアメリカ的価値観の持ち主で、“外国人の戯言”が大嫌いだ。カプランの息子で法学生のサム(ウィリアム・コーリア・ジュニア)は、モランの娘でしがないOLのローズ(シルヴィア・シドニー)に恋しているが、彼女の方は現実に疲れ、とても冷めた思いでいる。アパートに住む主婦たちはローズの母であるモランの奥さん(エステル・テイラー)と牛乳配達人のサンキー(ラセッル・ホプトン)の仲を噂している。ジョーンズ一家は近所の鼻摘みもので、特に息子のジョージ(T・H・マニング)は乱暴ものでわがままで、ローズをものにしようとちょっかいを出す。母親のジョーンズ夫人(ブラー・ボンディ)はそんな息子を止めようとしないどころか、おおっぴらに肩を持ち、相手をしようとしないローズのことを売女の娘などと非難する。サムはローズを守ろうとしてジョージと喧嘩になる。ジョーンズ親子はユダヤ人であるサムに侮蔑的な言葉を言って家に入る。サムとローズはアパートの前の石段で語り合う。サムはローズと結婚したいのだが、ローズはまだ半人前のあなたが何を非現実的なことをと言う。彼女はなんとかここの閉塞した状況から抜け出したいと思っているが、一方でそれが不可能なことも分かっている。モラン家の隣一家に子供が生まれた。
 翌日、本質的には善良で優しいローズの母(サンキーとの情事は、彼女にとってここの生活からの一種の逃げ道なのだ)は、隣の奥さんのために鶏のスープを作ってあげることにする。モラン氏もローズもそれぞれ仕事にむかう。牛乳配達人のサンキーがやってきて、彼女の部屋に上がる。しばらくして、突然モランが家に帰ってくる。表にいたサムは必死で「モランの奥さん」と叫ぶ。そして突然、二階のモラン家から銃声が響いた。警察や 救急車がアパートの前に集まる。モランは逃走を試みるがすぐに逮捕される。ローズが地下鉄で帰ってきて、事情を知って泣き崩れる。誰かがモラン家の台所のスープのことを言う。
 ローズはこの弟のウィリーと共にこのアパートを出ていくとサムに告げる。サムは一緒に行こうというが、ローズは彼に、それよりも法律の勉強をきちんと終えて弁護士になることの方が、彼にとって大事なことだとたしなめる。
 ローズたちが出ていってからしばらくして、そのアパートにペンキ屋が入って壁を塗り替えている。新しい人達が来るのねと主婦たちが噂している。隣の部屋からは、赤ん坊の泣き声が聞こえる。