川手二郎

1904年長野県生まれ。阪東妻三郎の大ファンで撮影所に通ううちにエキストラなどをするようになり、24歳の時、新興キネマの助監督になる。5年間の助監督修行を経て、1932年、月田一郎主演の『結婚快走記』でデビュー。36年まで新興キネマで監督をした。小津安二郎の『生まれてはみたけれど』(32年)に感激し、自身のかつての貧乏生活の体験をもとにして、庶民の貧乏物語を中心に撮っていた川手だが、会社のお仕着せの企画を蹴ったりすることもあったため、作品にはあまり恵まれなかったという。そのため31歳の時にPCL(後の東宝)へ移籍し文化映画の演出に専念した。約10本ほどの作品を演出した後、郷里の長野に帰り、不動産業を営んだ。

過去の上映作品

乙女橋 1936