1899年生まれ。サイレント映画のタイトル(字幕)デザイナーとして映画界に入る。以後、助監督や脚本の執筆を務め、25年、マイケル・バルコン製作による『快楽の園』で監督デビュー。以後、『三十九夜』(35)などのサスペンス映画で成功を収める。デヴィッド・O・セルズニックに招かれて、1940年に『レベッカ』でハリウッドに進出。同作はアカデミー賞最優秀作品賞を受賞した。その卓越した演出技法は後進の映画監督に大きな影響を与え、フランソワ・トリュフォーによるロング・インタビュー『映画術』も出版された。自作へのカメオ出演でも有名。1980年、腎不全のため死去。