1920年代に黄金時代を迎えたソビエト無声映画において、エイゼンシュテイン、ドヴジェンコとともに三大巨匠の一角を担った映画監督。モスクワ大学物理数学部自然科学科を卒業し、第一次世界大戦に従軍。捕虜となり脱走して戻った祖国は、ソビエト政権下にあった。国立映画学校でガルジンに学び、1922-25年、クレショフ工房に参加。俳優、脚本、美術、監督と多様な分野で活躍し、代表作「母」(1926)で無声映画の巨匠として名声を確立する。トーキー時代には、「ナヒーモフ提督」(1946)など伝記映画を多く手がけた。俳優の仕事も一貫して続け、「イワン雷帝」(第1部、1944年、エイゼンシュテイン監督)の瘋癲(ふうてん)行者の役は、短い場面ながら強烈な印象を残す。また、監督論、脚本論、映画俳優論など教科書を数多く書き、世界中で読まれた。
チェス狂 Шахматная горячка 1925
母 Мать 1926
聖ペテルブルクの最後 Конец Санкт-Петербурга 1927
アジアの嵐 Потомок Чингис-хана 1928
祖国の名において Во имя Родины 1943
ワシーリー・ボルトニコフの帰還 Возвращение Василия Бортникова 1952