『パルチザン前史』の持つ映画史的意味は大きい
筒井武文(映画監督)
土本典昭の『パルチザン前史』(69)では、京都大学全共闘の「大学解体」を掲げた闘争が描かれ、ノンセクトの滝田修(本名・竹本信弘)が主人公となる。当時、土本はプロデューサーを務めた黒木和雄の『キューバの恋人』(69)の興行的失敗で苦境に陥っていた。その土本に手を差し伸べたのが小川紳介で、『日本解放戦線・三里塚の夏』(68)の大津幸四郎が撮影を担当し、その後の「水俣」シリーズでコンビを組むことになる。一方、「三里塚」シリーズは、大津の助手だった田村正毅に委ねられる。このキャメラマン交代劇によって、70年代の日本ドキュメンタリー史が更新されるわけで、『パルチザン前史』の持つ映画史的意味は大きい。
70年安保の前年は、東大全共闘が占拠した安田講堂が機動隊によって陥落し、その闘争の中心は、京大を中心とした関西に移っていた。タイトル明けは、9月5日に日比谷公園で行われた第一回全国全共闘結成大会の喧騒から始まる。そこに全共闘八派から排除された赤軍派が突入を試みたからである。その前夜の京大内での討議で、経済学部助手の滝田修が登場する。彼は、「共産主義的労働団=パルチザン五人組」を提唱し、新たな全共闘の解体、再編成を目論んでいた。土本は、滝田の人間的魅力に惹かれ、意気投合する。映画は、10月までの二ヶ月間を、京大内にスタッフ四名で泊まり込む体制で、撮影された。滝田たちノンセクトは、中核派ら主流派と距離を置き、独自の軍事教練を行う。一般学生や報道陣も見守るなかで、五人組で鉄パイプを武器にドラム缶に突っ込むのである。本人たちも自嘲するように、漫画的な光景でもある。驚かされるのは、火炎瓶の作り方が字幕を交えて教示されるシーンである。これは闘争中の全国の同志に伝える実践的な目的もあったのではないか。
圧巻なのは、京大前の百万遍交差点を学生がバリケードで封鎖した市街戦。通行を遮断された市電の運転手の困惑や野次馬の様子まで、状況が生々しく伝わってくる。ここでの火と水の闘いは凄まじい。学生の投げる火炎瓶が、やがて放水車の放つ水流に敗北していく。小川紳介なら農民の視点から闘争を描くのだが、土本典昭の場合はもっと複眼的で、京都盆地の大ロングから京大時計塔へとズームする客観ショットや、パルチザン同志の滝田批判の言葉まで入るのである。
終盤は、家庭人としての滝田に寄っていく。大学解体を唱えながら、生活の為、予備校で教える矛盾を受験生に語る。自宅で、信奉するローザ・ルクセンブルグについて語り、赤ん坊を抱く。最後は、琵琶湖湖畔の水上ボーリング台で働くパルチザン五人組。
完成後、『パルチザン前史』の上映と講演が各地で開催され、過激派の教祖として、滝田修の人気は全国区になる。しかし、三里塚に銃器を持ち込む目的もあったらしい朝霞自衛官殺人事件の黒幕と疑われ、71年から、およそ4000日の逃亡、潜伏生活を送ることになるとは、そのラスト・シーンの晴やかさからは想像つかないことであっただろう。