年に一度、主人と召使の役割が逆転する聖ネポムークの日。一夜かぎりの主人である召使たちの前で、旅芸人の一座が見せ物を演じる。キッチュすれすれの退廃美と極端に緩慢なリズムにより、ブルジョワ文化が徹底的に“スペクタクル”化される。
世界中で熱狂的愛好家を生み出した空前絶後の怪作。紋切り型をちりばめ、御都合主義、荒唐無稽の限りを尽くしたこの映画は、歌劇、怪奇趣味、メロドラマへの偏愛を隠さない。青年貴族イシドールと「ラ・パロマ」ことヴィオラの“愛と狂気と死”の物語。
1981年度のカンヌ映画祭の“虚構のドキュメンタリー”。ベティはカンヌの映画関係者が集うカールトン・ホテルに滞在している。彼女はプレス関係者でないという理由で映画祭への参加を拒否されるが、偶然、二つの記者会見に立ち会うことになる。
シュミット作品の中でも最もファッショナブルな一篇。原作はポール・モランの小説。物語は1942年、スイス人外交官ジュリアンの回想として始まる。彼は若い頃、赴任地の北アフリカで、アメリカ人の人妻クロチルドとの激しい情事に溺れていた。
戦前のドイツで映画界に入り、ナチス台頭後、アメリカに渡って数々の名作を世に送り出したダグラス・サーク。スイスの保養地ルガノで余生を過ごすサークの元を訪れ、敬愛する伝説的なメロドラマの巨匠の姿と言葉を記録したドキュメンタリー。
ヴェルディが晩年にミラノで建設した「憩いの家」と呼ばれる養老院で暮らす往年の音楽家たちを描いた”虚構のドキュメンタリー”。スカラ座の花形歌手であったサラ・スクデーリらが全盛期を偲ぶ。題名は、プッチーニの歌劇「トスカ」の台詞から。
シュミットの故郷グリゾン地方に実在した17世紀の革命家イエナチェ。その謎の死をモチーフとした幻想怪奇映画。イエナチェの実像を取材する若いジャーナリストが、時を越えてイエナチェと出会い、現実とも幻想ともつかない世界へと迷い込む。
「想起された物語ほど虚構的なものはないだろう。とりわけ、自分自身の物語である場合には」と述べるシュミットの少年時代の記憶に基づく物語。スイス山中にある解体直前の古いホテルを訪れたヴァランタンは、子供時代の祝祭的な日々を回想する。
日本=スイス合作。歌舞伎界で当代一の人気を誇る女形、坂東玉三郎に迫る”虚構のドキュメンタリー”。玉三郎の「鴛娘」などの舞台のほか、女優の杉村春子、日本舞踊の武原はん、舞踏家の大野一雄、101歳になる現役最高齢の芸者・蔦清小松朝も登場。
「身体」「身体性」を基本コンセプトにしたオリジナル映像作品。『書かれた顔』と併行して撮影されたが、世界的な舞踏家大野一雄を撮影した数ある映像作品の中でも珠玉な一品と言える。ラストシーンは『人生の幻影』と見事な相似形を成している。
シュミット最後の監督作品は、スイスを舞台にした喜劇。弁護士とファッション・デザイナーが、ロシア出身の純朴な高級娼婦イリーナを用いて、要人の弱みを握ろうともくろむ。期せずして、イリーナはスイスの運命を左右することになる。