■古典映画編
純朴な田舎娘スージーは、愛する青年の出世のために、自らの幸せを犠牲にするが、故郷に戻ってきた彼は別の女性と結婚してしまう。やがて妻を亡くした彼は、二度と結婚しないと誓うのだが……。幼なじみの男女の恋愛の紆余曲折を詩情豊かに描く、ギッシュとハーロン主演、グリフィス監督の「田園ロマンスもの」の代表作。
名匠ヴィダーの出世作となった人情劇。ミシシッピ河に浮かぶ古い艀で暮らす世捨て人の老人が、荒れ狂う嵐の夜、死にゆく女性から託された子供を育てる。しかし、やがてこの子は児童救済会の代表に連れ去られる。屋外シーンは、エリス・パーカー・バトラーの原作小説の舞台となったアイオワ州マスカティンなどで撮影された。
表現派映画の代表作。裕福な暮らし送っていた夫婦が開催する晩餐会で、夫は、男性の来賓客たちと興じた夫人に手を差し伸べているように見える影遊びを事実と信じ込み強い嫉妬を抱く。やがて、影絵使いが訪れ、影絵を披露するうちにその催眠的な効果により、晩餐会の参加者たちは夫人への欲望を巡る幻覚の世界に誘われて行く。
首都ダブリンで、結社の一員フランシスは他の結社との抗争中に誤って警官を射殺し、逃亡生活を余儀なくされる。恋人ケートと再会すると彼女は同じ党員のジポーと恋仲になっており、フランシスを目撃したジポーは嫉妬に駆られ警察に密告し、フランシスは射殺されてしまう。仲間から追われることになったジポーは逃走を図る。
「ドキュメンタリー」という言葉を広めた英国記録映画運動の父グリアスンの唯一の監督作。ニシン漁を題材に出航から操業、帰港、流通までを描く。エイゼンシュテイン『戦艦ポチョムキン』から学んだ抽象化されたクローズアップとリズミカルな編集パターンが、人間対自然というフラハティ流のプロットに組み合わされている。
GPO(中央郵便局)映画の代表的傑作。ロンドン−グラスゴー間を運行する夜行列車での郵便局員たちの作業を劇映画的な手法で描く。音響監督カヴァルカンティにより、サウンドトラックの創造的な使用が探求されている。ラストの流麗でリズミカルなナレーションは、詩人W.H.オーデンと作曲家ベンジャミン・ブリテンが手がけた。
「都市交響楽」ものの傑作『時の他何物もなし』(1926)で知られ、グリアスンに代わってGPO映画班の責任者となった、ブラジル出身の前衛映画作家カヴァルカンティによる石炭産業の記録。同映画班の『夜行郵便』同様、オーデンがコメンタリー、ブリテンが音楽を担当。映像と言葉と音楽が複雑に絡み合った「炭鉱のオラトリオ」。
43歳で早逝した天才ジェニングスの代表作。ロンドン大空襲に耐える英国民の戦時下の日常を描く。当時の人々の生活の肌触りを忍ばせる、ダンスフロアの音楽、歌声、稼働する工場の機械音など、喚起力に富んだ音響によって構成されたサウンドトラックに、キャメラが捉えたシュールレアリスティックな日常の細部が併置される。
イギリスの参戦五周年に生まれた赤ん坊ティモシーにあてられた「未来への記憶」。新しい社会を築かなければならない若い世代に戦時中の経験を伝えようとする。いわゆるプロパガンダ映画とは一線を画し、控えめかつ繊細な視線で戦争に傷ついた英国民の暮らしを捉える。小説家のE・M・フォースターがコメンタリーを執筆。
この作品は、山形県新庄村(当時)で数カ月に及ぶ長期ロケを敢行して撮影された、日本におけるドキュメンタリー映画の記念碑的存在である。雪と人間との生活的苦闘、さらに雪害を少しでも克服しようと様々な対策に取組み、たゆみない努力を続ける雪国の人々の生態を記録し、雪害対策の重要性を社会問題として提起した。
戸越保育所の先進的な取り組みを保姆の視点で描き、子どもたちの自然な姿を活写した一篇。脚本と構成を担った厚木によれば、保姆たちと交流を深めた結果、彼女らも撮影現場で「協同者」として積極的なシーン作りを引き受けたという。演出の水木も柔軟なカメラワークと同時録音を駆使し、保育所の日々の営みをすくい取った。
皇帝退位後も戦争は終わらず、反戦デモは弾圧を受けた。やがてレーニン率いるボリシェヴィキが民衆の支持を集め、政権を奪取する。ロシア革命十周年記念映画として製作され、十月革命までの出来事を「知的モンタージュ」の実験を交えながら再現。冬宮襲撃シーンの撮影には1万1千人のエキストラと街中の電力が使われた。
皇帝が退位しても戦争は終わらず、反戦デモは弾圧を受けた。その中で革命家レーニンが率いるボリシェヴィキが支持を集め、政権を奪取する。1917年のロシア革命を、監督の「知的モンタージュ」の実験を交えながら描く。ロンムの前作『十三人』(1937)を気に入ったスターリンからの依頼に応えて作られた革命二十周年記念映画。
■現代映画編
16世紀に書かれたテキストに基づいて山村クラリェで上演されるキリスト受難劇の記録。自らの「ターニングポイント」と述べる本作でオリヴェイラが発見したのは「上演=表象の映画」という極めて豊かな鉱脈だった。一見して不自然な「虚構」のドキュメントだけが喚起する謎と緊張。前人未踏の「映画を超えた映画」の始まり。
©CAPRICCI FILMS,
ROSA FILMES,
ANDERCRAUN FILMS,
BOBI LUX 2016
1715年8月。太陽王ルイ14世は散歩から宮中に戻ると足に激しい痛みを感じる。それから数日後、王は政務につくが、夜になると痛みは増し、高熱に襲われる。彼はほとんど食べ物を口に運ぶこともなくなり、だんだんと衰弱していく。豪奢な一室で彼の信奉者と医者たちに取り囲まれ、フランスで最も偉大と称えられた王の緩慢な死。
美しく官能的な身体性、オペラを思わせる様式性、知的かつ感覚的なモンタージュを駆使する映像。それらが、クラシック、オペラ、ロックンロールなどの様々な音楽を非同期的に伴い、ミニマルな空間で展開される。ラディカルな映像作家シュレーターの処女長編。マンハイム国際映画祭ジョセフ・フォン・スタンバーグ賞受賞。
プリント提供:福岡市総合図書館
©1972 T&C Film, Zürich
年に一度、主人と召使の役割が逆転する一夜限りの儀式。召使たちの前に主人たちの手により、次々と飲み物や料理が運ばれる。旅芸人の一座が現われ、ボヴァリー夫人の死の一幕劇を初めとする様々な出し物が演じられる。 やがて降霊術のような儀式も始まり……。本作は、監督自身の生家でもあるグリゾン州のホテルで撮影された。
ナチス時代にドイツで建設された「アウトバーン」の伝説を浮き彫りにする。ニューズリール、文化映画、劇映画など第三帝国時代の映像資料に、当時の関係者へのインタビューと監督自身のナレーションによる批判的考察を加え、「ヒトラーのハイウェイ」と呼ばれた巨大な高速道路建設の隠された経済的・文化的意味を暴き出す。
プリント提供:福岡市総合図書館
1944年のアメリカ軍の空襲時に撮影されたドイツ工場地帯の航空写真。数十年後、CIAがこの写真を分析し、アウシュビッツ強制収容所が写っていたことが判明する。戦争と写真の関連性を示し、戦時の認識が、人々が見たいもの、見たくないものによっていかに条件づけられ、観察者を受動的共犯者または犠牲者にするのかを探求する。
プリント提供:福岡市総合図書館
スカンジナヴィア半島の北端一帯は「北の冠」と呼ばれ独自の植生を誇っていた。映画はこの地域の人々の文化を捉えていくが、その豊かな土壌は産業化の波により次第に浸食され、1986年のチェルノブイリ原発事故で甚大な放射能汚染を被る。地球環境をめぐる普遍的な問いを投げかける本作はストローブ゠ユイレに捧げられている。
ネストラー監督と親交のあったジャン=マリ―・ストローブとダニエル・ユイレのユニークな作家性に迫るドキュメンタリー。ストックホルムでの登壇中の発言や、彼らの映画の抜粋と撮影風景、ペドロ・コスタの記録映画、様々な写真や絵画を組み合わせた芸術家とその芸術の考察を展開。亡くなったユイレ最後の撮影現場の姿も見られる。
ジャン・ブリカールは1932年にロワール河近辺で生まれ、その地域で暮らし、92年に引退するまでヴェルト島の砂質採取事業の責任者だった。ドイツ占領期などの過去を振り返る彼の談話は、1994年2月24日に社会学者ジャン=イヴ・プチトーが録音したものである。2006年のユイレ死去により、ストローブ=ユイレとしては最後の監督作。
マサチューセッツ州ブリッジウォーターにある精神異常犯罪者のための州立刑務所矯正院の日常を克明に描いた作品。囚人が、看守、ソーシャル・ワーカー、心理学者たちにどのように取り扱われているかが様々な側面から記録されている。裁判所命令により一般上映が禁止され、永年にわたる裁判の末、91年にようやく上映が許可。
©Wang Bing and
Y. Production
精神病患者1億人と言われる中国の精神病院で初めて撮影されたドキュメンタリー。何らかの理由で「異常」とされて病院に収容されている男たち。中庭を囲む回廊。病室のいくつものドア。スクリーンと客席の境を忘れさせるカメラは、やがて患者たちが愛を求める姿を映し始め、異常と正常を分かつ境界さえも消し去ってしまう。