■古典映画編
フラハティとムルナウの共同制作として始まるが、フラハティが途中で抜けた後、より劇的な構造を持つ、ムルナウの単独監督作として完成。ポリネシアの小島を舞台に、島のタブウを犯して愛し合う若い恋人たちの逃避行の顛末が詩的な映像美でつづられる。公開直前にムルナウが自動車事故で亡くなったため、彼の遺作となる。
ポリネシア群島の英領サモアに取材し、原住民の様子をキャメラに収めたドキュメンタリー。村に住む青年モアナを中心にして、彼らの食料採取の様子や刺青の儀式が描かれる。製作から50年以上の時を経て音声を加えるため、フラハティの娘モニカが同島を再訪。製作当時の出演者の協力を得て1980年に完成したサウンド版。
米国のブルジョワ青年ウエスト氏が、カウボーイの用心棒を連れてボリシェヴィキの国・ソ連を訪問する。ウエスト氏は「赤い魔物の国」の噂どおりに、怪しい連中に出会って事件に巻き込まれるが……。世界初の国立映画学校でクレショフの元に集まった未来の映画人らが出演し、米国の冒険活劇映画をパロディーにした卒業制作。
貧農フムィリの「幸福」の探求を通じて、農村における新旧勢力の対立を描いた寓話的コメディ。煽動宣伝映画の枠に収まらない綺想にあふれ、「最後のボリシェヴィキ」メドヴェトキンの代表作となった。監督は1930年代初め、煽動列車をヒントに現像・編集・上映・電源設備などを備えた「映画列車」を組織したりもした。
ニューヨーク港に上陸した火夫ビルは、波止場から身を投げた若い女メイを救う。やがて二人は愛し合うようになるが…。大成功を収めた『暗黒街』に続いてジョージ・バンクロフト主演で撮られたこのメロドラマは、ハリウッドでのスタンバーグの地位を確固たるものにした。島津保次郎の初トーキー「上陸第一歩」は本作の翻案。
フランク・ノリスの小説「マクティーグ(死の谷)」を映画化した傑作。無免許の歯科医と守銭奴の妻との失敗に終わった壮絶な結婚生活を描く。シュトロハイムの飽くなきリアリズムの追求は50度近い灼熱地獄と化したデスバレーでのロケへと撮影隊を導いた。現行版はタルバーグの介入により短縮された版の更に半分以下の長さ。
ドイツ表現主義の代表的傑作。吸血鬼ノスフェラトゥが現れ、ブレーメンの町にペストが蔓延する。美女ニーナは我が身を犠牲にして町を救おうとする。ブラム・ストーカーの「ドラキュラ」を翻案し、超自然なものが日常世界に侵入するこの「恐怖の交響曲」で、当時としては例外的にムルナウはロケーション撮影を効果的に使用。
村の不気味な宿に泊まった旅人が、衰弱する宿の娘を発見し、やがて姿の見えぬ吸血鬼との暗闘にいたる怪奇映画の永遠の古典。ドライヤーが自分自身のプロダクションを興して撮影した初のサウンド映画で、抑制された台詞や、名手ルドルフ・マテの撮影による夢とも現実ともつかないぼんやりした映像も恐怖を際立たせる。
パリから田舎にピクニックにやってきた一家は、言葉巧みに妻と娘を誘惑する二人の若い男性に宿屋で出会う。束の間の愛のきらめきとその後の長い後悔。撮影中の悪天候と折しも勃発した第二次大戦のため、映画は実際に完成することはなかったが、アメリカ亡命中のルノワールの了承を得て編集が進められ、戦後にようやく公開。
©1934 Gaumont
艀船の船長夫婦の新婚生活は、妻が行商人に誘惑されパリに出奔することで急転回を迎える。河に飛び込んだ夫が妻の面影を見る幻想的な水中場面が美しい。夭折の天才ヴィゴのこの呪われた遺作はヌーヴェルヴァーグに影響を与えた。オリジナル版が散逸し、長らく短縮版でしか見ることができなかったが、1989年に復元版が完成。
■現代映画編
©1967 松竹株式会社
大学受験のために上京中の欲求不満の高校生四人組が、偶然再会したかつての教師から酒席で春歌を聞かされる。彼らは受験会場で出会った美少女を犯すことを空想するが…。雪の中、建国記念日反対のデモ隊が掲げる黒い日の丸が鮮烈な印象を残す見事なカラー撮影。性と政治の関わりを主題にし続けた大島の異色の青春映画。
©EPIC・ソニー/
ディレクターズ・カンパニー
高校の先輩を慕って上京した少女は、堕落した男に失望し田舎に帰ろうとする。初老の心理学教授はそんな彼女を引き留め「恥ずかし実験」の研究対象にするが…。当初ロマンポルノとして制作された「女子大生・恥ずかしゼミナール」を追加撮影・再編集。60年代ゴダールを想起させる遊戯性に満ちた黒沢清初期の代表作。
ブラジルの過去と現在を往還する映像と音によるシンフォニー。夜明けの山並み、バイーアの祭りと海岸での歴史劇、リオのカーニヴァル・ダンス、政治状況の総括、ブラジリアの工事現場。人々のエネルギーが画面にみなぎる映像のパワー。「ブラジルの肖像の脇に置かれた私の肖像画」という言葉を遺したローシャの遺作。
ヴァルガス独裁政権による共産主義者弾圧の最中、政治犯として監獄に送られた作家ラモス(ハーモス)。彼がそこで見たものは、植民地主義の残滓と支配者による暴力、そして脆弱なエリートというブラジルの現実そのものだった。近代という時代の苦難と矛盾を背負って生きる作家の姿を大きなスケールで描いた映画による知識人論の最高峰。
ポルトを流れるドウロ川の河口を舞台に、港湾労働者、鉄橋、船舶、鉄道、波などをダイナミックな構図で捉えた映像と大胆なモンタージュ。ヴァルター・ルットマンの『伯林-大都会交響楽』に想を得て、弱冠22歳のポルトガル人青年オリヴェイラが初監督したこのドキュメンタリー短編は、若き日のジャン・ルーシュを熱狂させた。
詩人アントニオ・レイスが、マルガリーダ・コルデイロと共に作った初長篇。川遊びなどにうち興じる子供たちの姿を中心に、遠い山奥のきらきらと輝く宝石のような日々を夢幻的な時間構成により浮かび上がらせる。公開当時、フランスの批評家たちを驚嘆させ、後にペドロ・コスタ監督にも影響を与えたという伝説的フィルム。
戦争が日常と化したタジキスタンとアフガニスタンの国境地帯。そこに配備された国境警備隊の若き兵士たちに同行し、ベータカム・ビデオで撮影。部族軍との戦闘の合間の小休止の時間を記録し、兵士たちの魂の内奥に迫る。撮影後、被写体のほとんどは戦死した。常に戦争をかかえるロシア国家を考察するドキュメンタリー。
肉眼で見ることができる最小の物質、塵。それは映画における可視と不可視の境界である。ビトムスキーは、主婦、廃棄物処理者、科学者、更にはアーティストやコレクターといった塵に関わる様々な人々に取材することで、日常生活を取り巻くこの物質を文化的、哲学的、芸術的に考察し、世界を眺める新しい視点を提示する。
2016年の米大統領選で住民の約8割がトランプに投票した中西部の田舎町インディアナ州モンロヴィア。ワイズマンは町の生活の中心となる高校、教会などに集う人々の姿を観察することで、都市生活者からはうかがい知り得ない彼ら住民の昔ながらの生活様式、価値観がどのように形成され、経験されているかを浮かび上がらせる。