《第一部:ブルジョワジーの叛乱》(96分)
1973年3月におこなわれた議会選挙における左派(人民連合)の予期せぬ勝利に続く、右派による攻勢の激化を検証する。議会制民主主義がアジェンデの社会主義政策を阻止できないことを思い知った右派は、その戦略を国民投票から街頭闘争へと転換する。この第一部は、右派が政府を弱体化して危機的状況を引き起こすために、デモやストライキの扇動から暴動、そしてテロへとその暴力的戦術をさまざまに駆使する様子、そしてついには軍部がクーデター未遂事件を引き起こすまでの数か月間を追う。
《第二部:クーデター》(88分)
第二部は、第一部の終盤に登場した1973年6月29日のクーデター未遂事件で幕を開ける。この「クーデター未遂」は、軍にとって有益な予行演習となったことは明らかであり、「本番」がおこなわれるのは時間の問題だと誰もが認識しはじめた。左派は戦略をめぐって分裂し、一方右派は着々と軍による権力掌握の準備を進める。最終的に73年9月11日の朝にクーデターが実行に移され、大統領府は軍による爆撃を受け破壊される。アジェンデはラジオを通じてチリ国民に向け演説をした後、自殺と思われる死を遂げる。同じ日の夜、アウグスト・ピノチェトを議長とする軍事評議会のメンバーがテレビ出演し、新たな軍事政権の発足を宣する。
《第三部:民衆の力》(79分)
平凡な労働者や農民が協力し合い、“民衆の力”と総称される無数の地域別グループを組織してゆく姿を追う。彼らは食糧を配給し、工場や農地を占拠・運営・警備し、暴利をむさぼる闇市場に対抗し、近隣の社会奉仕団体と連携する。こうした活動は、まず反アジェンデ派の工場経営者や小売店主や職業団体によるストライキへの対抗手段として始められたものだった。やがて“民衆の力”は、右派に対し決然たる態度で臨むことを政府に要求する、ソビエト型の社会主義的組織体へと徐々に変質してゆく。
軍によるクーデターから20余年が過ぎ、パトリシオ・グスマンは祖国チリへと帰国する。そこで、故アジェンデ大統領の側近で事件の生存者たちから、当時の状況や証言を聞く。軍事政権下では上映が禁止されていた、グスマンの代表作『チリの闘い』を鑑賞し、9月11日を回顧し、仲間や同僚を思い、アジェンデを懐かしむ。さらに、当時の情勢についてほとんど知らない学生たちを集めて『チリの闘い』を上映し、彼らの率直な感想を聞き出す。『チリの闘い』の後日譚とも言える作品。トロント国際映画祭など多くの映画祭で上映された。
1973 年の政権交代後に軍事評議会の議長となり、翌年から1990年までチリの大統領だったアウグスト・ピノチェト。1998年に病気療養のため渡ったイギリスで、スペインの司法当局からの要請によりロンドン警視庁に逮捕される。イギリスの裁判所が他国での容疑を断罪する権利についての論争が巻き起こる中、ピノチェトは一年以上も自宅監禁されることになる。ピノチェトのロンドンでの裁判を中心に追ったドキュメンタリー。カンヌ国際映画祭国際批評家週間でプレミア上映の他、多くの映画祭で上映。
人民連合の党首で、1970年から1973年のクーデターまで大統領を勤めたサルバドール・アジェンデについてのドキュメンタリー。バルパライソ生まれの医師でもあり、チリ社会党結成に参加し、政治家としてのキャリアを築いた彼の人生を、貴重な映像や家族写真とともに、アジェンデの友人や同僚、家族や労働者などへのインタビューから探る。政治家としてだけでなく、あまり知られていない一人の男性としてのアジェンデを見つめる。トロント国際映画祭やカンヌ国際映画祭など世界中の映画祭で上映された。