萩野亮(映画批評家/「neoneo」編集主幹)

2011年は土本典昭の作品が顧られた年だった。『原発切抜帖』や『海盗り―下北半島・浜関根―』は各所で上映され、3月11日以降の福島の現実と重ねられた。他方、いま突きつけられているのは、原子力のみならず、あらゆる科学技術と社会のシステムを問い直すことであるだろう。 土本典昭は、技術的発展のひとつの帰結としての水俣病に、生涯を賭して対峙しつづけた。さらにさかのぼれば、初期作品の『ある機関助士』や『ドキュメント路上』では、交通安全のPRという本来の製作意図をはなれて、交通システムにおける過酷な労働と、避けられない事故への警鐘を鳴らしてもいた。 水俣における連作で、漁民のすがたに「労働」ではなく「仕事」を、ときによろこばしく見出していった土本典昭にとって、科学技術や社会に対する批判と仕事のよろこびを記録することとは表裏である。いま、その仕事の全体をあらためてかみしめるときだ、それも早急に。