四方田犬彦(映画研究者)
ジョスリーン・サアーブは単にベイルートの厄難の定点観測ドキュメンタリー作家として重要であるばかりではない。彼女はアラブ地中海圏の伝統文化が西洋の高度消費社会によっていかに変容していくかを見つめる証人であり、イスラム圏での女性のジェンダー的困難に敏感に反応し、それをラディカルに問いかける映像作家でもある。また魔術と幻想、イスラム神秘主義に対しても深い共感を抱き、幻想的な物語世界を映画化している。シネフィルとして、レバノン映画史そのものを愉しいミュージカル映画に仕立て上げる才能も忘れてはならない。サアーブは近年にいたり映画の枠組みを越え、写真展とインスタレーション、映画学校での教育活動、さらに自伝の執筆に及ぶなど、幅広く活動している。