マノエル・ド・オリヴェイラ(映画監督)
「シネマ・ノーヴォ」とは、イタリア北部のセストリ・レヴァンテで開催された最初の「イベロ・アメリカ映画祭」で、グラウベル・ローシャが言いはじめたことに起因しています。たくさんの作品と共に『アニキ=ボボ』が上映されたのですが、革命的な映画を擁護するための「シネマ・ノーヴォ」の一例としてグラウベル・ローシャがあれほど言及していた『バラヴェント』はなぜか上映されませんでした。おそらく準備が間に合わなかったのでしょう。後年、私は彼の映画を何本か見ました。最後に見たのは『アントニオ・ダス・モルテス』です。16世紀にブラジルに移住したポルトガルのミーニョ地方の人びとによってブラジルに持ち込まれ、ブラジルで継承され、ブラジルの特色も加えられた昔の劇、秘儀からの強い影響が印象に残りました。それはグラウベル・ローシャの映画の構造に影響を与え、その革命的な特徴ゆえに、彼は「シネマ・ノーヴォ」と呼んだのです。(「ポルトガル映画祭2010カタログ」より)