ペドロ・コスタ(映画監督)
ポルトガルのシネフィル、映画を学ぶ学生、映画監督を目指す者、映画監督のなかで、パウロ・ローシャに大きな借りをもたぬ者はいない。パウロより前に、1960年代においては、マノエル・ド・オリヴェイラという比類なき英雄がいたが、それに加えて心の底から称賛することができ、私たちの映画だと思えるような作品は、無声映画とドキュメンタリー映画にわずかに存在するだけだった。
やがてアントニオ・レイスが登場するが、アントニオさえもパウロに負うものがある。
私たち“家族”のなかで、パウロはつねに若く、絶望の詩人であり続け、甘美でありながらも物哀しいリスボンを撮影する術を知る最初の人間だった。彼は自分自身からは遠く隔たった社会的、文化的、感情的なリアリティと向き合い、アヴァンギャルドと戯れた。
そして、「失われた国に光を」(*)追い求めて、彼は壊れた幽霊船に乗り、日本へと航海した。
私自身のパウロへの恩義は、計り知れないものだ。少しでも彼に恩返しする機会を持ち得たのは幸運だった。その晩年に、彼の初期モノクロ作品の二本、『青い年』と『新しい人生』の輝きを取り戻す手助けをするようパウロから請われたのだ。
私の人生のなかで、忘れがたい時、もっともかけがえのない瞬間のひとつだ。
私はあなた方に約束する。パウロ・ローシャの映画を観に来ればきっと報われるであろうことを。
*『恋の浮島』第3歌に引用されるポルトガルの詩人カミロ・ペサーニャ(1867–1927)の詩の一節「私は失われた国に光を見た」を踏まえている。──訳注