木全公彦(映画批評家)
第二次世界大戦後、日本を統治した占領軍は、政治や経済の改革だけでなく、メディアの統制と検閲にも乗り出す。目的は封建主義の排斥と民主主義の普及だったが、日本人に親米意識を浸透させるねらいもあった。その政策の中に、短篇ドキュメンタリー映画を巡回上映するプロジェクトがあった。戦前、報道カメラマンとして活躍した田口修治は、この時期にそうした映画を多数製作したプロデューサーのひとりだ。占領終結によって日本が独立すると、それらのシステムは、激化する東西冷戦下のプロパガンダとしても利用されることになる。田口がCIAの資金を得て製作した『私はシベリヤの捕虜だった』はその典型的な作品である。