編集台上の思索者、松川八洲雄
土本典昭(映画作家)
ドキュメンタリー作家が編集を重視するのは共通している。差があるとしたらそのこだわりと徹底性であろう。松川八洲雄は最後まで古い手動のビュア(画面拡大の機械)を回し、手描きでカット図を描いた。それで編集空間を埋めた仕事部屋作りは最後まで変わらなかった。その編集台と彼を切り離すことは出来ない。そこには思索者の彼がいる。
絵のつなぎはフィルムをビュアで動かして見るのが普通だ。だが彼はスタインベックのようなモーターつき編集機を使わない。熟練を要する古い手回しのビュアで、一駒、二駒と止めて、確かめ、ハサミを入れては繋ぐ(これはビデオ編集では絶対できない“手間”だ)。彼はこの手作業を最後まで続けた。彼ほどのプロになればその手間を飛ばしても、恐らく同じカット順、同じカットの長さになったであろうに…。しかし、この編集スタイルを彼は終生変えなかった。そのいわばアマチュアリズムに固執した。それは見事だった。
「何故編集に絵コンテを?」と聞くと、「スタッフの意見が聞きやすいから」と答える。が、他者の為だったろうか。彼自身の為、その手作業の編集から醸成される“自分の映画探し”の為だったと思う。だから、編集には強い個性が貫き、余人(権力者)がハサミを入れようにも歯が立たない…勝手にいじれば映画全体がおかしくなるようなフィルム、つまり“松川の映画”であり得ていた、ふりかえれば、彼は全自作を自ら編集してきた。それでいて、彼の編集ほど自然体のまま楽しめるおもむきのドキュメンタリーは滅多にないと思う。私が彼をあえて編集の作家と特徴づける所以である。