ハルーン・ファロッキ:まなざしへ向かう批評的まなざし
四方幸子(キュレーター、批評家)

  誘導ミサイルや工場に設置された監視カメラの遠隔的な映像、既存の映画や映像、図や写真の引用……。ハルーン・ファロッキの作品のほとんどは、本人が撮影に介在しない映像や素材で構成されている。それはかつてジガ・ヴェルトフが開始した世界を発見しコラージュするという批評的ドキュメンタリー映画の手法を、映像が多様化しつづける現代においてかつてないかたちで実践するものと解釈することもできるだろう。メタ的俯瞰をしながらも都市を一人称的に切り取った『カメラを持った男』(ヴェルトフ)と比べファロッキは、他者のまなざしや映像的表象としてあらわれる世界を、特定の距離とまなざしにより操作することで私たちの前に提示する(余談だが、ヴェルトフの系譜はゴダールやストローブ=ユイレへも受け継がれているといえる。ファロッキが後者の映画『アメリカ(階級関係)』に出演し、メイキングを監督していることは決して偶然ではないだろう)。

感情的な誘導もメタファーも特定のストーリーもなく、あくまでも即物的に構成されたドキュメンタリー映像。重ねられる分析的なナレーション。各作品には、ファロッキならではの技術や人間に対する根源的な批評——技術の進展と連動し発達した視覚および映像システム、それによって促進された視る側と視られる側との非対称的関係への——が込められている。

ルネサンスにおける遠近法の確立から可能になった視覚装置は、世界や空間、そして大衆を俯瞰・監視し管理するシステムを生み出した。とりわけ20世紀以降現代に至るまで、ヴィデオ、コンピュータ・シミュレーション、インターネット、データ解析、フィードバックなど複製・デジタル技術の発展は、身体的体験を伴わない空間の遠隔的表象化を推進してやまない。それは戦争、企業、エンタテインメントなどさまざまな領域において人々を支配し、同時に欲望を増幅させるシステムとして稼働している。ファロッキはまさにそのような中、「まなざしに向かう批評的まなざし」を一貫させて世界に投げかけている極北的存在といえよう。

8月のファロッキ特集は、ここ10年あまりインスタレーションという形態を通してメディアアートや現代美術でも注目を集めるファロッキの、18年ぶりの大規模な回顧上映となる。ファロッキの真骨頂を俯瞰できる絶好の機会となるだろう。