映画の授業 方法としてのドキュメンタリー
西嶋憲生(映像批評)
今回のプログラムの原案は「空想のシネマテーク」として「フィルム・ネットワーク」誌に昨年掲載された。発行元のエース・ジャパン(国際文化交流推進協会)は非商業ネットワークでの「公共上映」という角度から映画や地域文化の活性化を進める財団で、フレデリック・ワイズマン映画祭をはじめ地中海映画祭やポルトガル映画祭2000等、多くの企画を巡回している。それら巡回作を中心に貸出作品が多数あり、そのリストを基に何か架空の上映会をプランニングするという連載コーナーだった。
ドキュメンタリーとフィクションの「境界」が今日の映画表現の主要な問題圏の一つとなっている一方で、ドキュメンタリー映画に触れる機会が少ない最近の大学生などはきわめて紋切型にそれを理解(誤解?)しがちであり、そのギャップを背景に私は「方法としてのドキュメンタリー」という机上プランを出した。ドキュメンタリーなる英語はJ・グリアスンの造語とされるが(1926年のフラハティ『モアナ』評)、ドキュメンタリーとは一ジャンルである前にメディアの「機能」やメディアへの「意識」なのではないか。
そんな視点から、ドキュメンタリーのメタ映画的側面(例えば『カメラを持った男』や『100人の子供たちが列車を待っている』)、グリアスン本人の歴史的第一作『流網船』を含む「英国ドキュメンタリー傑作選」(とりわけハンフリー・ジェニングス)、そうした伝統に反発した戦後のダイレクトシネマ(ワイズマンら)、90年代ドキュメンタリーで顕著となるフィクションの混入ないし境界の曖昧化(『1000年刻みの日時計』は86年)、「客観性」への問題提起(メカスの私的で主観的な日記映画)を並置し、「ドキュメンタリーという方法意識」の多次元性と自由度を素描できないかと考えた。
今回、アテネ・フランセ文化センターの協力でプログラムが増補され「空想」が現実になってみると、本来のプランを越えた歴史性や政治性も浮上しそうだが、ドキュメンタリーという困難な存在が至る所で時代や現実と軋みを発していることは確認できるだろう。