筒井武文(映画監督/東京藝術大学大学院教授・映画美学校講師)
「ドキュメンタリー映画史−ドキュメンタリーを読む」前期6回では、野田真吉と松本俊夫の対談をテキストに、1946年から60年までの日本ドキュメンタリーを上映し、彼らの明晰な分析に共感しつつも、二人が批判している作品の中でも再評価に値するものもあることが示されたと思う。最終的に、野田、松本の理論と実作との乖離を検証すれば、彼らの目指す「新しいドキュメンタリー」の輪郭が明確化できたのと同時に、旧来のPR映画の決別までは至らない、変革の途上期ならでは表現であった。
さて、60年代以降の後期だが、60年代ドキュメンタリー界最大の事件は、小川紳介の登場である。PR映画からの脱皮をどうやって果たしたのか。それを日本の批評界はどう反応したのか。前期からの継続性を考え、野田、松本が中心になり編集された「映像芸術」誌の『圧殺の森』『現認報告書』特集を後期初回のテキストにする。それに小川を最初に評価した一人である松田政男のテキストを対置して、小川の出現と新たな製作・配給システムの構築によるドキュメンタリー映画の変容を探っていく。小川と撮影の大津幸四郎が中心となった「小川プロダクション」は三里塚に乗り込んでいくことになるが、小川の先輩格である土本典昭の『パルチザン前史』も小川プロの製作になる。
大島渚と吉田喜重は、ドキュメンタリーでも劇映画を補完する重要作を残している。大島の場合、松田政男が提唱した「風景論」の検証も必要になる。小川、土本、大島、吉田が「68年」とどう関わり、それが表現の地平をどう変化させていったのか。
最後に、1990年代にデビューした佐藤真と青山真治を取り上げる。小川プロのキャメラを大津から受け継いだ田村正毅(たむらまさき)との共同作業の意味も探っていく。ここで検証する6人は、自らも膨大なテキストを残した理論家、批評家でもあり、「現在」のドキュメンタリー表現を模索する映画作家にとって、大きな指標になる筈である。