第3回「彼らはいったい何をみつめているのか? どうしてそんな風にみつめているのか?」

映画においては「視線」と「表情」の間に不断の駆け引きがあり、共鳴があり、裏切りがある。「視線」と「表情」が常に同じひとつのことを語っているとき(さらには台詞や声までが同じひとつのことを語っているとき)、観客は無意識に退屈する。かつてはそれが映画における演技の“常識”であった。ところが映画の演出を担う人間にとって自明であるべきこの“常識”は多くの傑作によって立証されつつも、ときに平然と優れた映画俳優たちの演技によって裏切られる。それでは、そもそも映画にとって「視線」とはどのようなものだったのか。「表情」とはどのようなものだったか。カール・Th・ドライヤー『ゲアトルーズ』(『ガートルード』)。ロベール・ブレッソン『スリ』『少女ムシェット』、増村保造『曽根崎心中』等の作品を意識しつつ、俳優たちの「顔」を舞台にした「視線」と「表情」の覇権闘争について考察する。(塩田明彦)